BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№56「異界の力」

画像は「恵信尼夢告」

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 本編、『付法蔵伝』や『名義集』のエピソードに見るように、現在の仏事の由来を、あの世の出来事から説明する例がよくある。ともすれば荒唐無稽なこうした手段が、たしかな説得力を持ち得てきたのはなぜだろう。蘇生譚や霊夢譚など、今日においては物珍しさの対象にはなるだろうけれど、死後の世界や夢の中の話がそのままこの世の行為を、理由づけたりする場面はほとんどなさそうだが。
 しかし歴史を振り返ればそのような異界の力が現実を方向づけるということは非常に多い。いやむしろものごとの最終的な決定権は異界の力に依っていると言ってよいかもしれない。
 「託宣」「神託」がそのよい例だ。国の政治的態度を決める切り札は、現世の王ではなく、亀甲のひび割れなどにその意向を示す「神」であり「祖霊」であった。
 「夢告」というのもそれだろう。こと禅宗においてもその伝統は十二分に継承されている。例えば日本の曹洞宗においても、道元が見た大梅法常の夢、さらに瑩山に至っては『洞谷記』においてしばしば自分の夢を会下の弟子達に語っている場面を見ることが出来る。
 さらに目を僧伝集や寺誌類に転ずれば、その誕生の由来、開創の由来に関わる他至る所に異界の存在を見て取ることが出来るはずだ。
 このように考えると、冒頭で呈した疑問はむしろ当たり前のことであって、異界云々ということを訝しく思う今日的発想の方が問題なのかもしれない。 
と。
 ここまではなんとなく展開できそうな話だが、やはりおかしい。
 神託や夢の〈捏造〉は心配しなくていいのか、ということだ。「経から俺が世界で一番えらい人で、だからみんな俺の言うこと聞かなくっちゃいけないって、夢の中で神さまが言ったんだ!」という言質をどう確保するのかという問題。
 おそらくこうした託宣や夢告の信憑性についてもちゃんと詮索してゆく手続きがあったのかと思うが、まだきちんと調べていないので自分ではよくわからない。そうしたグレーゾーンはある程度認めつつも、やっぱり「異界の存在」の大きさは今日に較べてでかいと思う。
 この問題、簡単に結ぶことが出来そうにない。この後も引き続き気にかけてみよう。