BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№65「ポイントどう使う?」

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 「廻向」という言葉を英訳するとどうなるのだろう。ごく一般的な英訳サイトを介すると次のような例があった。
  Buddhist memorial service
  prayers for the repose of the soul
  a memorial service; a prayer for the dead
 私の貧弱な英語力じゃ詳しいことはよくわからないが、でもこれらは「廻向=亡き人の仏事法要」という状況を前提としているもののようだ。こう言う所を見ると、語句の表面的な字義だけをたどって「めぐらし向ける」という意味に訳出されないという所がかえって、「廻向」がすでに仏事法要として確乎たる市民権を獲得していることの証なのかも知れないと思ってしまう。

 仏教関係の辞書を見ると、「廻向」自体の多義性に出逢う。代表的なものとして中村元の『仏教語辞典』の解説例を挙げよう。
 1)方向を転じて向かう。
 2)(さとりに)向かって進むこと。
 3)向かわしめる。めぐらす。ふり向ける。
 4)功徳を他にめぐらし、さし向けること。ふり向けること。仏教では普通、自己が行った善根をめぐらしひるがえして、一切衆生のさとりのためにさし向けることをいう。自分の修めた善行・功徳をさとりに向かってめぐらす行為。
 5)称名の功徳を浄土にふり向けまいらすこと。
 6)浄土門に説く、往相廻向と環相廻向の二つ。
 7)親鸞によると、阿弥陀仏が転じ向かわしめること。
 8)仏事法要を営んで、その功徳が死者の安穏をもたらすよう期待すること。供養。
 9)過失をなすりつけること。
 10)菩薩五十二位の初め、十信の第七位。
 11)菩薩五十二位の第三階。

 さきほどの英訳がもとにしている意味は8)ということだろう。文字通りの解説は1)3)か。浄土教系に特徴的なのが5)6)7)。菩薩の五十二位をもとにしているのが10)11)ということになる。
 このうち私が注目したいのは4)の説明だ。その文章にあるようにこれが仏教の一般的な考え方だという。業界の皆さんにはおなじみのことだと思うが、この考え方、あらためて見てみるとなかなかおもしろいと思う。
 「功徳」とは、今では仏教を離れても一人歩きしているほど世に通じている言い方だが、あらためて問われると、功徳とは何と答えられるだろう。ここでも仏教語辞書を引けばそれなりに答えは展開できるのだが、今言う4)の意味に限ってはどうだろう。英訳の例を見ると
 Act of charity あるいはたんに、charity とあるが、やや違うように思う。
 そこで私は「功徳」を「ポイント」と解釈してみることにしている。数年前に子ども向けに連載していたある読み物の中で、登場人物の僧侶にこんなセリフを言わせたことがある。場面は寺院で行っている盂蘭盆会施食(施餓鬼)法要で、住職が施餓鬼にちなんで法話しているくだりである。

 「みなさんのお家のご先祖と一緒に、他のたくさんの精霊を迎えるのにはわけがあります。それは、自分たちの直接のご先祖以外の精霊たちに供養することは、大きな功徳を生み出すといわれているからです。そしてその生まれた功徳を、私たち自身がもらうのではなくて、ご先祖の供養のためにと回向してあげるのが、盂蘭盆会の供養なんですよ」
 その時カンナが手をあげて「和尚さん功徳ってなんですか」と聞きました。
功徳というのは、簡単に言えばポイントみたいなものだね。それはよいことをすれば貯まるんだ。そしてあとで貯まった分だけのポイントを、幸せと交換できるんだよ。せっかくためたポイントを自分のために使わないのは損だ、と思う人もいるかな。でもね、精霊たちのために供養して貯まったポイントを、自分のために使わずに、ご先祖の幸せために届けてあげよう、という考え方を仏教では大切にするんだよ.それが回向ということなんだよ」

 タイ国の「タンブン」の例もこれと同様だろう。いずれにしても興味深いのは、人の行ないがある定量の「善いこと」に換算されて、他の場面で「使う」ことが出来るという考え方。それは蓄積しておくことも可能だし、用途もいろいろ選択可能だ。さらには行ないの内容によっては、功徳が大きいなどという言い方があることからもわかるように、換算倍率も変わるのである。まさにポイント制度とそっくりだと思うのだが、いかがだろう。
 近所のスーパーのポイント、ツタヤのTポイント、航空会社のマイレージポイント、クレジットカードのポイント、省エネ住宅ポイントなどなど、数え切れないほどの種類が現在あふれている。このポイント制度の祖型って、案外、仏教だったりするのじゃないだろうか。