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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №66「霊供」 巻三〈祭礼部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号33

 問う、「俗説に、亡魂は飯気(いげ)を喰らうと云う。この本説ありやいなや」。
 答えて曰く、「『倶舎論』の説に依るに、これ烹(に)たてたる飯気をのみ喰らうと云うことに非ず。総じて一切の飲食の香を喰らうなり。『世間品頌疏』に曰く、“健達縛(けんだつば)は、ここには尋香と云う。中有は香を食するゆえに尋香と名づく”(文)。これすなわち人の死して、七七日中有に居て香を食とする文証なり。
 また云く、もし少福の者は、ただ悪香を食し、もし多福の者は、好き香を食となす(文)」。
 ○問う、「ある人の云えるを聞くに、人死して四十九日の中は、中有に居、四十九日を過ぐれば、各々業に牽(ひか)れて即ち託生す。託生すればそれぞれの趣の食あり。人界の食は余趣に届(いた)らず。ゆえに七七日の内は、霊供を備えて亡魂を佑(たす)くべし。七七日過ぐれば、霊供を営むこと必ず無用にせよと教えられたり。それがし、疑いいまだ決せず」。
 答えて曰く、「汝、まず自己の心を探るべし。子として父母の神霊を拝するに、供具を擎(ささ)げずしてあに心よからんや。儒家には三世を立てず。ゆえに人死すれば、魂魄天地に返り散じて生を稟(うく)るものなしとす。ここをもって父母の神魂、実に無しとするすら、牲(いけにえ)を備えて、父母の在(いま)すがごとき敬を教ゆ。況んや吾が仏法には、人死して各々それぞれの業に引かれて、必ず三界六趣の中に生を受けて、父母の霊魂歴々たり。然るを日々の供具を欠けば、不幸の罪たれかこれにしかん。今、汝に霊供無用と教える者は、これ汝に不幸を教えるものなり。不幸を教える者は、天下の罪人なり。固(まこと)に畏(おそ)るべし。いわゆる戒、万行なりと雖も、孝を以て宗となすと云えり。故に仏法に孝道を重んずることは、儒教に勝れり。最も慎むべし」。
 また重ねて問うて曰く、「霊供を欠くべからざるの道理、至極せり。しかるに彼の人の申されし如く、人中の飲食は実には余趣には届(いたる)まじきか」。
 答えて曰く、「これ汝が凡情の局見を以て推し度(はか)るところなり。運心供養するに、法界の中ち至らざることなしの理、上み廻向の條に略述するが如し。かつ密教には、秘呪秘印等の加持を以て、地獄の門を開いて、地獄の有情を招集して、飲食を与うる等の法あり。人中の飲食を浄妙食と成して、普く供養する法あり。かくのごときの法によって運心供養すれば、何(いずれ)の悪趣の有情も、天道及び仏菩薩も、一器の浄食すなわち同座にして、供養するに均し」。