BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №67「霊供の本拠」 巻三〈祭礼部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号34

 問うて曰く、「霊供の本説、経論の中に見えずと云うものあり、いかん」。
 答えて曰く、「按ずるに、『素婆呼童子経』に出たり。彼の経(上の七葉)に曰く、“念誦の人は、もしこれ俗人ならば、またまさに頭を剃るべし(乃至)四種の応器を持すべし(乃至)まさにこの器を持して、次第に家々に乞食すべし。食を得て足り已れば、清泉の所に近づき、水を以てその飯を浄洗せよ。もし食せんと欲す時は、先ず鉢の中の飯を出して、分けて五分となし、一分を路行に準擬す、飢人来たる者、即ちこれなり。一分を水中の衆生に施し、一分を陸地の衆生に施し、一分を七世の父母及び餓鬼衆生に施し(これ霊供の本拠なり)、第五分を足ると足らざると自ら食すべし(已上)”。この経は真言行者の行事を説きたまう如来の実説なり。明拠これに過ぐるなし。しかるにこれを考えざるもの、上の條の問いの如き妄説をなせり」。
 ○愚、按ずるに、彼の霊供無用にせよと妄説せる人の本拠を勘(かんがえ)るに、『行事鈔』に引く阿含の説に依ると見えたり。
 『行事鈔』上に云く、「今、亡人のために食を設くる者有るは、『中(阿)含』の云うに依れば、“もし死人のために布施し、祭祀する者は、入處餓鬼の中に生ずる者は得て、余趣葉は得ず。各々活命食有るがゆえに”。『雑(阿)含』の中に広くこの事を明かせり。もし親族、入處の中に生ぜずんば、ただ施心をもって施すべし。それ自ら功徳を得ん」と。
 私に曰く、「阿含は小乗経なり。小乗経はこれ如来の本意に非ず。なんぞこれを取らん。希(ねがわく)は、智者、これを弁ぜよ」。