よこみち【真読】№107「礼塔」
金髪、ピアスで黒革の上下。金属ボタンの革ブーツ。ついありがちなキャラの型にはめたくなりそうなその若い男性が一人で墓参。先年両親を亡くした。小一時間も墓所にいただろうか。また一人帰るその姿に思うところは少なくない。
不在となった人に寄せる思い。その思いの矛先を託す寄る辺の意味は重要だ。本編の「墓」「塚」というモノがそれにあたる。亡き人の魂の依り代。
かつて焼骨を粉及び灰状にして山野や海原に「撒き散らす」ことを、自然葬と呼んで注目されたことがあった。今でももしかするとその名残はあるかもしれない。亡くなるその人自身は自然回帰できるという思いに浸れるのだろうか。しかし残された遺族たちは山野や海原というあまりに茫漠とした寄る辺の無さに戸惑うことが多いという。逝く人自身にとってはreturn to natureの幻想が果たされるのかもしれないが、残される人々にとってその人の「よすが」のないことは不自然unnaturalな思いは拭えないだろう。「依り代」の大切さをあらためて思う。
このよこみち、「礼塔」と題したのは、本編に触れて、師の、あるいは師と仰ぐ人の塔を礼した人々の言葉をふり返ってみたいと思ったからだ。素材は中国宋代の禅僧の詩に求めた。以下、そのいくつかを挙げる。
永明塔 笑堂悦和尚作
宗門を潤色す、幾万言ぞ。
袈裟零落して、行、猶お羶(なまぐさ)し。
言うことを休めよ、破鏡を照らすこと無しと、
月は中峰に在って、夜々円かなり。
永明延寿禅師の墓塔。
延寿は『宗鏡録』百巻の作者。一句目はそれを言う。
延寿また一生袈裟を脱がず、火葬の後、その袈裟壊せずと伝えられる。しかして「行猶羶」とは、延寿生前の道行、今に至ってなお世間に強く影響を与えているとの意。羶は、生臭いというよりも、芳しい。
破れた鏡はもう照らすことがない。「宗鏡」にかけて延寿の死を言う。「破鏡、重ねて照らさず、落花、枝に上りがたし」の語がある。
月は鏡に映じる光の本体。中峰は一説に延寿ゆかりの西湖の東の地とも言うが、ここでは普通名詞・山脈の中央でも意は通じる。
永明延寿は『宗鏡録』百巻の大著を著して宗旨にいっそうの文彩を加えられた。今、その祖塔を礼す。
禅師の袈裟は荼毘の後も、そこなわれることなかったと伝わるが、その袈裟は零落したものの、禅師の遺芳はいまなお香っている。
禅師の宗鏡はすでに破れて、もはや照らすことはないなどとのたまうことなかれ。
山嶺の中央、夜々、月は円かに輝いている。これこそ禅師の宗鏡である。
明覚塔 象潭泳和尚作
智門に見(まみ)え了って、天衣を接す。
何ぞ用いん、低頭して隠之を扣(たた)くことを。
水は画(えが)く、洞庭無字の記、
峰は青し、乳竇(にゅうとう)不磨の碑。
明覚禅師こと雪竇重顕の墓塔。
智門は雪竇の師、天衣は雪竇の弟子。
隠之は雪竇の字(あざな)。
洞庭は蘇州の太湖中にある洞庭山翠峰(岳州の洞庭湖ではない)。雪竇は始めここに住した。無字記は雪峰山にあり、雪竇にもこと寄せて伝えられる。
乳竇は雪竇山のこと。
雪竇禅師は智門師に法を嗣ぎ、天衣師を接化打出された。
あらためて禅師に訊ね智門参禅の意や、天衣打出の意など問うまい。
なぜなら眼前に開ける太湖水上に浮かぶ洞庭山のようすこそ禅師の足跡を印した無字の碑であり、
青々とした山並みをたたえた雪竇山こそ、決して消えることのない禅師の風光を伝える不磨の碑なのだから。
思大塔 松巌秀和尚作
熟処忘れ難し、思大老。
三生、此の地に精魂を弄す。
我れ来たって敢えて低頭して礼せず。
率都婆、嶽帝の門に隣る。
思大は南岳慧思大師。
熟処は住み慣れた所。
慧思大師、三度この世に生まれ出でて南岳に住したと伝えられることを云う。
率都婆は祖塔。嶽帝は岳神の廟、南岳の山神。
いかほど住み慣れた所が忘れ難かったのか、慧思大師。
三度も生れ出でてこの南岳で仏法敷衍の精魂を傾けられたとは。
しかし私はここに詣でて敢えて礼拝しようとは思わない。
祖塔は岳神廟の隣にあり、まるで俗神の仲間のようになっているのだから。
人は亡き人の面影をその「モノ」に託し、時に慕い、時に敬い、時に毒づき。その人ともに生きてゆく。
※参考資料『江湖風月集訳注』編注:芳澤勝弘