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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №119「数珠の功徳」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号52

 数珠を造る法ならびに加持の法、『陀羅尼集経』の第二「文殊根本儀軌第十一」に出たり。この法に依って造り加持せざれば功徳少なし。深秘なれば今出さず。師に問うべし。
 ○『瑜伽念珠経』に念珠の結縁の功徳を説いて云く、「もしは頂の髻(もとどり)に安じ、あるいは耳に掛け、あるいは頸(くび)の上に安じ、あるいは臂に安ぜば、その人の所説の言論、すなわち念誦と成って三業を浄む」と(已上)。
 また云く、「もし髻に安ぜば五逆罪を滅す。もし頸に安ぜば四重の罪を浄む。もし手に持し臂に安ぜばよく衆(もろもろ)の罪を滅す(已上)」。
 『数珠功徳経』に云く、もし人、法によって仏名・陀羅尼を念誦することあたわずとも、ただよく菩提子の念珠を手に持し身に随えば、行住坐臥に出すところの言語までも、彼の念仏し呪を誦する功徳と同じうして福を獲ること無量ならん(已上)。
 これまた結縁の功徳なり。ただしこれは如法に加持して造れる念珠のことなり。今時、市肆に売買す数珠は、製も法に契わず。酒肉五辛を喫(くら)い、淫欲などの穢れに造れる物なれば論ずるに足らず。
 ○『一字頂輪王儀軌』に云く、「珠を敬うこと仏の如くして軽々しく棄触すべからず。何となれば珠に由て功徳を積んで速やかに成就を得るがゆえに(已上)」。
 また経には、頸に安ぜよとあれども、外道の髑髏を繋げ掛けたるに相似たるがゆえに、頸に掛けることを用いず。また耳(※原本は「其」)に安ぜよと云うは、清浄に洗浴したる時の事なり。常人の耳は垢穢多きゆえにこれもまた用いず。また髻に安ぜよと云うは、直に安(お)くにはあらず。浄き物を以て包み、あるいは函(はこ)に盛(い)れて髻の中に蔵(おさ)むなり。今はただ臂に掛け手に持するを通途とす。されどもこれまた穢れたる手を以て執ることすべからず。浄水を以て手を洗い香を塗って数珠を執るべし。「珠を敬うこと仏のごとくせよ」と云う経文を以て推して知るべし。