追悼
2017年11月25日
この日、管理人を失ったあるSNSアカウントが二つ。
1~3ヶ月に一度くらいは顔を合わせて食事していた。
自分よりも5歳下の女性。
舌を巻くほどに聡明でものおじせずに自分の意見をつらぬく人。
どういうわけか慕ってくれて、いつも向こうから連絡をくれた。
体の不調をおぼえ、検査した結果がステージ4。
来年まではもたない、と。
最初に打ち明けてくれたのが去年のことだった。
「私が死んだらお葬式出してください」。
とまどいつつも承諾。
隣県の総合病院。
見舞いに行ったのは3回。
訃報が届いたのは今日。
このひと月、思いはありつつも見舞いに足を運んでいなかったことが悔やまれる。
弱みを見せる人ではないのに「気弱になりました」などと漏らすようになっていた。
「思うことはせいっぱいやったけど、これでおしまいかなって思うと残念」
そう言いながら涙をこぼしていた。
白くなった顔に数時間前まであったはずの表情を探る。
病状の急変を聞いて駆けつけた時には遅かった、というご主人。
日ごろは健康そのものだったのに、という実父。
なんとか院号のお葬式出してやりたい、という義母。
認知症になった義父の介護を一身に引き受け
身内以外には理解してもらえない理不尽にじっと耐えていた。
複数の外国語に堪能で数十カ国を訪ね歩いてきたまれに見る才媛が
くだらない田舎町の陰湿な気風に喘いでいた。
SNSに残された膨大なブログの量
好奇心の赴くままに綴った諸方面への文筆。
「本にしたらと友達が勧めてくれて」とその実現に動き出しそうだったが
ついに完成は見なかった。
痛快にさえ思える健啖家。
自らの振るう包丁も料理の東西を問わず達者だった。
食べるの好き飲むの好き話すの好き歌うの好き。
才媛はいろんな意味で才媛だった。
客でにぎやかなスナック。
「ここ入るの初めて」と言いつつドアを開け
すぐに曲を選んで「じゃ歌いま~す」
マイクを離したのは矢継ぎ早に4~5曲歌った後だった。
残されたSNSアカウント二つ
FBは外国の友達用だと言っていた。
ふだんから更新は控えめ。
饒舌に更新していたのはFC2のブログ。
2009年から毎月20越えで綴ったブログは分厚く長大な小説にも似ている。
管理人自ら凍結を設定するか近親者が設定すればそれで終わると言うがどうだろう。
M子さん
まだしばらくはあなたの言葉に触れていたいよ。