BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】 №135「ゆれる思い出」

 小学校の頃、なにか不始末をやらかして「罰として一週間の便所掃除!」などと先生に叱られる・・そんな場面が記憶にある。
 「罰」として成り立つということは、一般にはイヤな、耐えがたいことだからだと思うが、そんなイヤなことをさせられるのが「便所掃除」だったのに、今回の本編の趣旨では「懺罪の人」が「罪咎を滅す」る妙法だというのである。おそらくそんな典拠のことなどつゆ知らずに、学校では便所掃除が罰だったのだろう。ただもしかすると、罪犯の人が懺罪のために便所掃除するという手段がどこかで行われていて、それが今に伝わっているという気もする。
 本編で紹介している雪竇禅師に代表されると思うが、禅僧には便所掃除に熱心な人がしばしばいたようだ。すでにFBにメッセージ寄せて下さった紫山師もその一人。
 私が見聞した中でおもしろいと思ったのは高田道見師と赤松月船師。赤松師がまだ18歳の頃、はじめて修行の身となった道場が愛媛の瑞応寺。時の堂頭老師は東京から三顧の礼で迎えられた高田師であった。年若い雲水・赤松が高田堂頭の世話係となった。高田師は大変まめな方で、毎日、自分の使用している堂頭用便所は自分でせっせと掃除していたらしい。ほんとはそれこそ行者(あんじゃ)と呼ばれる役の赤松の仕事なのだが、当時の赤松どちらかといえば手抜きしたがりだったようで、堂頭老師が好きでやっているならそれでいいじゃんという具合で、ただ後ろからその掃除する様子をぽけっと見ていたらしい。高田師は着物の裾をはしょり、たすきを掛けて、ごしごし掃除する。ときに大股を開くと、真後ろから眺めていた赤松の目の前に、ゆるんだ褌のわきからぶらぶらと見え隠れする堂頭老師の分身。赤松師、その様子をずっと後になって回顧している。
 曹洞宗梅花流にいまに歌われる『三宝御和讃』ゆかりの二人である。
 ほほえましくもあり、憎めなくもあり。