94歳の別れ
今年の8月13日、お世話になった老僧が亡くなった。
越えて霜月の昨日、見送りの儀が終わった。
寡黙、おだやか、器用、丁重、親切、やさしい、などおよそその人を形容する言葉は聞いてきたつもり。
しかしいざ別れの場に臨んで老僧に贈る親しき人たちの言葉を聞くと新たな思いに打たれた。
「若い頃、優しくて美男子の和尚様は、この村の私たち子どもにすばらしい模型の機関車の走るところを見せてくれました。たくさんの御菓子をもらえるお寺の春祭りを私たちはわくわくして待っていたものでした。この村の子どもや大人達に夢を与え、仏様の教えを説いてくれた、あなたは村のお釈迦様でした」
「どうして自分の師匠はよその師匠さん達みたいにいろいろ教えてくれないのだろう。そう思って聞いたことがありました。すると師匠は“お前と一緒にお経を読んでいると泣けてきてしょうがないのだよ”と答えました。この時私は自分の師匠とはありがたいものだと心から思いました」
人が一人ずつ亡くなっていくことは、それぞれきれぎれの断片が散らばっているように見える。
けれどもそんな中でなにかしらが「つながって」ゆくのは、そんな思いが継承されて行くからだと感じた。
老僧、ありがとう。さようなら。