BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

食い物の話

 今年も残すところ一週間となった。

 なにごとにも目的意志を持って当たりたい、などど構えた言い方をすることもないが、要は呑んだり喰ったりの話。ご縁あって、あちらこちらでけっこうなものをいただいた。越前、天草、駿河湾、北海道、最上ほかそれぞれその地でなければいただけない美味いものにたくさん出会えた。関係各位に感謝感謝である。

 そんな中、はなはだ失礼勝手な乍ら、個人的なベスト3をまとめておきたい。

 なんでかって、漫然とごちそうになり、荏苒と忘却の向こうへ消し去ってしまう方が失礼じゃん、と思うわけである。ここでその土地それぞれ、甲乙付けがたく、いずれもおいしい・・などと言うのは、かの「天上天下唯我独尊」を、すべての人間が一人ひとりみな尊い、などとバカ言っている連中に与するようで許せないんだな。

 ま、匿名ブログでこうして残しておくのもいいでしょ。こうすりゃ、今後もなにかいただく度に、漫然と・・じゃなくて「心して」いただくことが出来るように思うんだな。

 てわけで、

 第三位 壱岐島 「セッカ」

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 これうまい。正体はいわゆる岩牡蠣なんだけど、その大きさが珍しい。大きいもので親指の爪ほど。小さいものは小指のそれ。最初はなんだかわかんなかったけど、口に入れて牡蠣の濃厚な味わいがぶわっとふくれあがるのを感じてびっくりした。

 象潟の岩牡蠣はでかいので有名だけど、これはその真逆。なんと言ったらよいか、セッカ一粒の持っている「牡蠣ポテンシャル」が非常に高い。それも牡蠣の旨みだけをぎゅう~っと濃縮したように、いわばこの小さなみな中にコアな牡蠣の味わいが詰まっている。

 写真はカブとほんのり汐味で淡い味付けにしたものに、おそらく別に煮ておいた椎茸(一緒に煮ると椎茸の味が出しの中で勝っちゃうと思うんだな)とゆずをそえたもの。このほかに大根おろしを添えて酢味したてで仕上げたものもいただいた。

 牡蠣は二十代の初めに当たってからしばらくダメで、ほんの二~三年前からやっと食べられるようになったんだけど、ふつうのやつは時にうぐっとくる生臭さがまだ気になることがあるんだけど、これはそんな生臭さがまったく感じられない。

 貝類系ではかなりの「大物」である。

 

 で、じつは同率三位にもうひとつ

 第三位 壱岐島 「ブリのもつ鍋」

 これじつはセッカをごちそうしていただいた席で話題になり、それじゃ明日用意してあげよう、ということでごちそうになったもの。

 壱岐宗務所長老師のはからいである。調理して下さったのは所長老師の奥様。

 壱岐の海の幸はかなりに豊富で奥深く、四~五日滞在を二回ほどしたくらいではまだまだなにほどもわからないのだが、たまたま頃は冬。ちょうどブリのシーズンだというので、ブリシャブやらブリのお造りやら照り焼きやらと話がはずんでいたところ、「これは壱岐以外の人間は食べたことないと思うよ」とのことで登場となった。

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 写真は中身があまり写っていなくて残念なんだけど、所長老師、そして奥様の話では、新鮮なブリでないとまず出来ないものらしく、近所のお檀家さんで漁師さんがいるからと、その日の朝に上がったものをさばいて作って下さったのだという。

 名前の通り、ブリの臓物だけで作った鍋だが、壱岐オリジナルとして豆腐の「おから」が入れてある。いわばブリもつの呉汁なのだが、呉汁自体、あまりなじみでなかったのでそれまた新鮮だった。

 もともと魚のアラ汁はタラ、サケ、タイ、アンコウなど好物の方だったが、これは初めての体験。まず汁に溶け込んでいる魚油が美味い。ブリの刺身や照り焼きから想像すると油分が多めで、かえって邪魔になるのでは思ったが、案に相違して油のおいしさはしっかりしていながら、実にさらりとしている。しつこさがまったくない。きっと調理のテクなのかも知れないけど、味噌の香りにあいまって油のよい香りさえ感じる。

 で、なか身が美味い。ブリの大きさからしてそれぞれの部位はけっこう大ぶりなのだが、それがいいあんばいに刻んであり、箸でもつ、口に入れる、かむ、飲み込む、の一連の儀式に実にちょうどよい。部位それぞれの味わいもそれぞれ個性を発揮し、そこに汁をじゅくじゅくに吸ったおからがからむ。そうか、呉汁というのは、汁から引き上げた身に対してなおも鍋のスープをまとわりつかせるための技法だったのだと気づく。

 これが昼食の御供。ふだんは午後の講習にそなえて、弁当なども半分から三分の一は残すのだが、これだけは二杯おかわりした。

 壱岐、おそるべし。

 

 それでは、つぎ。

 第二位 秋田県北秋田市七日市 「クマのモツ鍋」

 期せずして、ほんとに期せずしてモツ鍋続きになったけど、これは全くの偶然。

 この地に生まれた身としてクマ鍋は縁のない食べ物ではない。むろんそれほど一般的な食べ物ではないが年に2~3度はいただく機会に恵まれる。阿仁地域に行けばふつうの食肉店でガラスケースに並んでいるが、こちらではまず店では買えない。生粋のまたぎの住む地域とも違う。いただくというのは猟友会の仕留めたもののお流れだ。そのメンバーは近所にも住むとうさん達。鉄砲で撃つ場合もあるが、檻の箱罠で捕まえる場合もある。箱に入って暴れているのを鉄砲で撃つのだそうだ。

 またぎと害獣指定にされたクマを捕らえる猟友会の間には、場合によっては深刻な違いがあると聞いてはいるけど、今はしばらく横に置いて食いもんとしてのクマ鍋の話にしよう。

 さて自分でこれと認めてクマを食して約三十年。獲れた時期によってかなりの味の違いがある。いわば冬ごもり前はしこたま食べているので脂がのって美味いとか、春はやせてさっぱりうま味がないとか。さらにはそのクマの状態にもよるらしく、自分はさほどにわかるわけではないが、「とうさん」たちの話はなかなか細かい。ま、ざっくりいえば人間と同じ、クセのあるやつもいるし、素直でクセのないやつもいるってことだよね、とあるところで言ったら笑ってくれたが。

 クマ鍋を食し、あるいはその話題になるとしばしば聞いていたのが、「クマのモツは最高だもんだ」との言。しかし、それはかなりの高嶺の花、というよりも一般人にはまず望めないものらしいと聞かされていた。

 なぜか。クマを仕留めるためにはチームを編成する。数日、あるいはそれ以上山に入って仕留めると、チームのみなでそれを分ける。大きな獲物の場合は里の家の近隣にもおすそ分けがある。今まで食したのもそのお流れ。ところがモツは、決してチーム以外の人間には流れないという。しかもチームの中でも中心メンバー以外の新米達ではなかなかありつけないものだという。いわばVIPメンバーの特権中の特権が「クマのモツ」だという。

 だらかこれまでも話だけはごちそうになるが、実際に食したことは一度もなかった。

 ところがその時は恵まれた。地元猟友会の幹事的立場にある先輩。この人はよく眼をかけてくれて、年に1~2度「呑みにこねが?」と声をかけてくれる。その日も電話だった。「和尚さん、今日都合いがったら俺えさこねが?」と。

 一升瓶下げて伺うと、先輩の他に二人。いずれも顔見知りの檀家さん、で猟友会の中心メンバー。なまぐさ好きの和尚というのがそれなりに知れていて、恥ずかしながら歓迎ムード。

 で、出てきたのがこれ。

 「和尚さん、これ食ったごどあるが?」と。

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 この具の形を見てすぐわかる。モツだ。いいのか?これ俺が食っても。クマのモツじゃないですか、とおそるおそる聞く私に、「ながなが食わいねど~」とにこにこしながら言う。聞けば、最前から私がこれを食べたいということは察していたらしく、それなら支度してやろう、しかし他のメンバーも大勢いるところでは、なにかと差し障りもあろうから、俺たちだけで食わせたとなれば誰も文句は言うまい、と相談したとかとか。この3人が猟友会のトップスリーである。

 具材はねぎとモツのみ。今までのクマ鍋には大根や豆腐、ときには白菜などが入っていたが。これはモツに対するあふれんばかりの自信のなせる業か。見るだけでもその部位は色々。腸? 肝臓? 胃袋? なんだこれ? どこ? 味噌の香りが起ち上がる。調味料は他に酒だけだとか。

 スープをいただく。あ~。

 これまで自分で作ったクマ鍋の経験では、クマ肉はとにかく脂が出る。一度がっつり水煮して、どーっと出た脂分をお湯と一緒に捨てる。これじつはもったいなくて、脂身が白くくっきりわかる場合は、中華鍋で肉の周りを炒め、脂分を融かしてから脂だけをガラス瓶に移し取り、その後、脂身を抜いた肉を鍋にしたりしていた。赤身の勝った切り身でも、鍋にすると脂分ははんぱなく出る。だから煮流してから作ってもこれまた充分な脂がしみ出してくる。それは場合によっては臭みがあり、場合によっては何とも言えぬ旨さを醸し出す。なのでモツの場合はさらに脂分がくどいのだろうと思っていた。

 ところがさらりとしている。調理のしかたなのかどうか、臭みもほとんど気にならない。濃いめの味噌味がモツのしっかりした味わいになじむ。

 それぞれの部位は歯触り、味ともに多彩。なめらかぷりぷり。ふわふわもっちり。しっとりむちっと。これはモツ鍋という一つの料理ではなく、一つひとつ別の食味をもつ臓物が一緒の鍋に同居しているもの。そういえば鶏モツ鍋などもさまざまな味のハーモニーだが、クマの場合は具材の一つひとつがでかいので、鶏モツのようにこじんまりしたまとまりとはかなり違う。たとえばこれのように牛のいろんな部位の臓物を一緒くたにした牛モツ鍋なんてお目にかかったことはない。どうやらこのあたりにクマモツ鍋の旨さの秘密の一端があるのじゃないだろうか。

 食卓には肉の部分だけで作ったいわゆるクマ鍋も用意してくれていた。こちらはこちらでちょっとした驚きがあった。いわゆる胸肉の部分は肋骨ごと小さく切り分けて煮てある。だから肉のかたまりを口にほおばったあと、箸の太さぐらいの肋骨を手でついっと出しながら食す。見ると肋骨だけではない、これはどっかの間接だな、とわかるようなころんと丸い骨、そのまわりにからみついている軟骨、そして肉。これも美味い。いままでは切り分けた肉だけだったが、こうして骨付き肉の鍋というのは初めて。煮ることによって縮んでゆく肉が、骨にくっついていることで止められ、そして柔らかくなる。「う~ん、まだ若げな」「あまりかまり(臭い)さねな」と、クマのベテラン達はコメントする。

 ともかくも超が二乗でつくくらいのレアもの。そのプレミア感がやや点数に乗っかったかな。

 と、もうひとつこのクマモツ鍋を二位に押し上げたものがあった。どぶろく。同席者の一人が「うちのかか作ったやつだ」と持ってきた。これが実にいいあんばい。どぶろくはしばしばいただくが、いずれもそれぞれ。一度として同じものがない。でこの時はしつこさのないさらりとしたなめらかさ。いわゆる上物。これが濃いめに味付けされたクマ&モツ鍋にちょうどいい。

 よくぞこの地に生まれけり、である。

 

 さてそれでは、

 第一位 秋田県北秋田市七日市 「松茸酒」

 地元びいきというわけではない。ここに至るまでの料理の写真を見返して、一緒に食卓に出ていた食材、一緒に飲んだ酒、歓談の内容、部屋のしつらえ等々あれこれ思い起こし、しかしほとんど迷わずに選んだのがこれだった。というよりも、一位はほとんど迷いなく決まっていて、二位以下が迷ったのだった。それほどダントツの経験だった。

 頃は晩秋、そろそろ冬だぞというあたり。「葛黒火まつりかまくら」のプレ学習会終了後の懇親会だった。地元の先輩、その人がこの地域で最も上流にある集落・明利又の山で採ったという松茸。「今年は当たり年だ」と本人が言うほど大猟だったらしい。

 食卓に提供されたしつらえは、やかんにぼんぼん放り込んだ炙った松茸に、酒・高清水をたっぷり注いで火にかけ上燗にしたもの。 

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 やかんが近づいてくるともう香りのオーラが押し寄せてくる。

 炙って、裂いて、酒で温める。これだけでなぜか松茸が大きく化ける。

 湯気の立つくらい熱くなった酒の匂いがもわりとふくらむ。その匂いがゆっくりふくらむとすれば、同じやかんの中から発する松茸の香りはもっと力強い。もし香りの到達力という言葉があれば、松茸のそれは酒のそれを凌いでいる。

 安物の湯飲み茶碗に注がれる。茶碗の陶器の肌から手のひらへ熱が伝わる。至近距離に来たこの特別な液体が放つ香りはもう犯罪的でさえある。鼻孔からその匂いを吸い込む、というよりは首から上全体で茶碗から繰り出される香気を浴びる。この時点ですでに半分くらいは陶然となっている。もう酒の匂いと松茸の香りの違いなんて言ってられない。快楽のスチームである。唇を当てる、熱さに注意して上澄みをすするように少しだけ吸い込む、上下の歯の間をすり抜け、歯茎を愛撫し、舌の上をじんわわり奥の方へ滑り降りてゆく。狭い口内に大きな幸せが広がる。最初のひとふくみが胃に落ちる。幸福の余残が次のひと吸いをせがむ。二口目を飲もうと唇を開くと外気が口中に入り、今飲み込んだばかりの香りと混じり合って新たな香りの蒸気を作る。る。その香気が二口目を飲む前にまた鼻孔から吸い込まれ臭覚を刺激する。そして二口目。快楽の連鎖が終わらなくなる。

 松茸酒、別に初めてではない。京都、城崎温泉の宿、あといく度か。しかし全然違う。かたや永谷園の粉末お吸い物だとすれば、かたや旬の生食材できっちり職人が仕事したお吸い物。それほど月とすっぽんなのだ。

 しかもその松茸のポテンシャルのすごさ。2度3度と中身の酒を入れ替えて燗しても、まだまだしみ出す香りのオーラ。いやあ、思い出してもすごかったなあ。

 これを越えるものと出逢えるのか。わくわくする。

 

 ま、勝手なこと言っておりますが、もともとそんな媒体ですから。

 

 あ、あと番外ですがここ。

 新潟駅ビルから建物続きでいける「ぽん酒館」

 こんな地の利の利便性で、しかもこれほどの品揃え。ぶらっと立ち寄って自分さえ大丈夫ならば何十杯でも。基本ワンコインですよ。

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