BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

詠讃歌講の「信条」について

 先に、愛知県龍拈寺所蔵の久我尚寛師範関係資料を紹介する次いで、梅花流の「信条」について述べた経緯がある。

 http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/04/15/092842

 これについて、その後若干見解の修正を行いたい。備忘録代わりのblogではあるが、一応足跡を残しておきたい。

 前掲・20150415付けの「久我尚寛関係資料の意義 その2」では、「藤川案」と「丹羽簾芳草案」の二例を挙げて、金剛流の「信条」と比較しながら、

 “現在の「お誓い」成立に到る「模索・試行」の段階を窺わせる”と述べた。

 この文章自体誤ってはいないと思うが、この時点で私は、「お誓い」と「信条」を同じものと考えていた。梅花流以前の金剛流等先行他派における「信条」が、梅花流では「お誓い」に発展したものだろうと考えていたのである。もう少し云えば、「梅花流お誓い」を選定するために、様々な候補が挙がる状況を想定し、その中に藤川案、丹羽案などがああり、そこに並んで正法日本建設運動のスローガンがあると考えていた。結果、正法日本建設運動の例の三つが「お誓い」として採用されたのだと思っていたが、これはまちがった見解だったとお詫びし、訂正したい。

 次の密厳流「親諭」「信条」「誓い」をごらんいただきたい。

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 これは現行(平成27年9月11日現在)の『真言宗智山派 密厳流詠讃歌経典』(平成16年 改訂第5版2刷)に掲載されているものである。

 ご覧のように現在の密厳流ではこの三つを併記(掲載頁は異なるが)している。

 これを梅花流と比較する時、「誓い」に相当するものは「お誓い」と認められるが、「親諭」「信条」に相当するものは梅花流にはない、ことが確認できる。

 考えるに、密厳流の後発として誕生した梅花流は、その初期に於いて、詠讃曲の多くを密厳流から継承したが、「講」の理念的骨子の部分、今ここでは「親諭」「信条」「誓い」がそれであるが、これらについても密厳流、そして先行他派のものを参考していたのだろう。そのうち「誓い」については、曹洞宗教団における「正法日本建設運動」を背景とした運動理念を継承したと考えている。

 ※http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/02/12/134439 これを初めとする一連の記事

 「親諭」「信条」についてもおそらく梅花流への継承が検討されたのだろう。「信条」についてその形跡と認められるのが、前掲の「久我尚寛関係資料の意義 その2」の二つの例であると思う。結果的にそれは取り入れられることなかったが、初期梅花流に於いてそうした経過のあったことが確認できる。

 このように見解を修正しておきたい。