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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№71「精進します!」

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日馬富士 横綱昇進時いわく、
横綱の自覚を持って、全身全霊で相撲道に精進します」
琴奨菊 大関昇進時いわく、
大関の地位を汚さぬよう『万理一空』の境地を求めて、日々努力精進致します」
曙 横綱昇進時いわく、
横綱の地位を汚さぬよう、稽古に精進致します」
貴乃花 大関昇進時いわく、
「『不撓不屈』の精神で相撲道に精進いたします」
若乃花 大関昇進時いわく、
「『一意専心』の気持ちを忘れず相撲道に精進します」
鶴竜 横綱昇進時いわく、
「これから、より一層稽古に精進し、横綱の名を汚さぬよう、一生懸命努力します」
白鵬 横綱昇進時いわく、
横綱の地位を汚さぬよう、精神一到を貫き、相撲道に精進いたします」
朝青龍 横綱昇進時いわく、
横綱の名を汚さぬよう、稽古に精進します」
ほか同工多数にて略。

 と、ことほどさようにお相撲さんたちは精進好きだ。
 こうして口にされた「精進」の意味は、本編の語る「食材に肉を使っちゃいけないというのが精進だと思ったら大間違い。精進というのは“勉め励ます”の意味だ」という主旨に適っていて、なんとも好ましい。日本人であると否とに関わらず、関取衆の精進にかける情熱はまっとうなものということだろう。
 
 精進と言えば、つとに知られているように、『仏遺教経』の中で、釈迦が臨終間際に示したという八大人覚のひとつ。道元もとても大事にしていた教えの一つである。
「四つには勤精進(ごんしょうじん)。諸の善法に於て、勤修無間、故に精進と云ふ。精にして雑らず、進んで退かず。佛のたまはく。汝等比丘、若し勤め、精進すれば、則ち事として難き者なし。是の故に汝等まさに勤め精進すべし。たとへば少水も常に流るれば、則ち能く石を穿(うが)つが如し。若し行者の心しばしば懈廃(げはい)すれば、たとへば火を鑽(き)るに未だ熱からずして、しかも息(や)めば、火を得んと欲すといへども、火を得べきこと難きが如し。これを精進と名づく」。
 少水ついに石をも穿つ、というストイックな仏教のスタイルイメージはこんなところから作られていくんでしょうね。

 となれば、精進料理とはそもなんぞ、ということになる。
 かつて、こんなことがあった。
 檀家さんのお葬式後の会食席でのこと。個人は宇奈月温泉でベテラン仲居だったという女性。旅館の女将さんほか従業員も数人、会葬に来ていた。会食の準備が終わり、席へどうぞいうことで案内される。私の臨席が主賓の女将さん。と、女将さんはじめ宇奈月ご一行がざわついている。なかなか座ろうとしない。女将さんが私に聞く。「ご住職、これほんとにいただいてもいいのですか?」。はて、と思った。用意されたのはいつもの葬儀用会食膳。近くの仕出し屋が用意したもので、ふだんよりはややグレードの良いものらしく、二の膳、一人用土鍋、魚はキンキンだった。え?と何を言いたいのかわからないでいる私に、女将さんが重ねて言う。「うちの方ではお葬式の席はみな精進ですよ。これはお刺身やお肉までついていて・・・」。聞けば、そちらでは49日までは魚肉を使わぬ質素な料理で通すのだとか。なるほどなあ、と思いつつかなりバツの悪い思いをした。
 たしかにこちらでは、仏事の膳も、祝事の膳も、あしらっている水引が黒白か赤白かくらいの違いで、料理の内容はほぼ同じ。なんだか「和尚さんがお葬式でこんなの食べていいんですか?」と、とがめられているようだった。

(こちらは仏事用)

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(こちらは祝事用)

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 『国史大辞典』の「精進料理」の項には次のようにある。
「宗教上の理由から発達した野菜・海草を主体とする料理。食べものにおける宗教上のタブーは世界各地の文化によりさまざまな形態があるが、日本の場合、特に仏教の影響から獣肉・鳥類・魚類などをタブー視する忌み食いの習慣が生まれた。『枕草子』に「さうじもの(精進物)」の語がみえ、仏寺における質素な野菜・海草の料理を指しているが、その意味するところは贅沢な美物(びぶつ)に対する粗末な素食(そじき)というふくみもあった。十一世紀に成立した『新猿楽記』には「香疾大根、油濃茹物」などの野菜料理名があがっているが、鎌倉時代以降、禅宗の発展に伴って大陸からもたらされた豆腐料理をはじめとする精進料理の大展開をみることになった。室町時代中期の『尺素往来』には干蕨などの野菜の汁、煎昆布・納豆などの菜、笋羊羹などの羹(あつもの)、麺・餅・饅頭などの点心があげられ、精進料理の内容が多様化したことがうかがえる。同時に精進の材料を用いて魚鳥のような風味をだす技術も進み、「雁もどき」のような各種の「○○もどき」が工夫された。精進は厳格には竈や火、さらに調理道具、器なども一般料理用のものとは区別されねばならない。またその独特の味つけや調理法、さらに仏寺における食事作法などが、のちの茶の湯の懐石や会席料理に大きな影響を与えた。江戸時代には精進料理を専門とする料理屋が現われ、また精進料理だけを集めた『和漢精進新料理抄』(元禄十年(一六九七))、『精進献立集』(文政二年(一八一九))などの料理書も刊行され、多くの種類の麩・湯葉・豆腐料理が記されている」。
 つまりは素食から魚肉を使わぬ工夫を凝らしたものへ、という展開があったようだ。
 なにも魚肉に限らず、野菜・穀物だって生き物だからと小理屈を言うととりとめもなくなるが、仏事供養あるいはそれ以外でも何事をか専心に取り組む時は「精進」し「潔斎」するのが常套手段。もしかするとこの「潔斎」に抵触するということで魚肉の調理・捕食が気になったんじゃないだろうか。つまり精進というイメージに時々くっついてくる「生理的浄化」という観念が、生き物を殺生して喰らうという「ケガレ」の行為を嫌ったのじゃないかな。