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BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №105「服忌」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号46

 問う、喪服の者を忌み、穢火を忌むは何故ぞ。
 答えて曰く、『貞観政要格式』に曰く、「昔より吾が朝は神国にして重服・血気を忌む。故に土葬、野葬を法と為す(已上)」。重服・血気とは喪服の者の火及び男女の血の穢れ等を忌むを云う。
 問う、神、已に死火を忌みたまう、仏、忌まざるは如何。
 答えて曰く、仏・神の智見、格別なるが故なり。謂く、本地の仏菩薩は諸法を性より見たまう故に、一法として浄・不浄無く、皆な本来清浄なり。故に死人を穢れと為したまわず、これに依て諸仏を勧請して亡者の得脱を祈るなり。垂迹の諸神は、諸法を相より見たまう故に、浄不浄彰(あらわ)る、殊に死人は穢れ深きが故に(経にも、一切衆生の中に悪臭、人屍の如きものなし、と説きたまえり)神明、甚だ嫌いたまうなり。
 問う、死人は悪臭あるを以て神明嫌いたまうべし。何ぞ生者の子孫を服人として嫌いたまうや。
 答う、骨肉同胞の故に穢れあり。穢れにまた軽重あるもこれ故なり。
 問う、然らば骨肉に非ざる師の死に、弟子汚れありとするは如何。
 答う、師の迹(あと)を継ぐゆえに汚れあり、もし迹を継がざる弟子には穢れ無し。
 問う、導師に汚れありとするは如何。
 答う、慈心を起こして亡者と同体の観を成すゆえに。
 問う、中陰の法事に与(あずか)る僧に汚れあるは如何。
 答えて曰く、穢るる炊火を食らう故なり。譬えば鮑魚鄽(てん=店)に居る者は必ず臭きが如し。
 問う、諸神は火を忌むこと皆な同じかるべし、しかるに何ぞ服忌令の中に神に不同有り。
 答えて曰く、神に権類あり、実類あり。ゆえに穢れを忌むみ不同有り。
 問う、火はその性、清浄にして万物を清むるものなり。しからば何ぞ火に汚れありと云うや。
 答う、服人の炊(かし)ぐ火なれば、残火と成るゆえに(残火とは残食の意なり。彼の仏に香を盛り、灯を捧ぐるに、新火を用いて残火を嫌う。これを以て知るべし)。