BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №115「生飯(さば)」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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生飯(さば)とは元(もと)これを「衆生食」と云うゆえなり。
 『行持鈔』下に云く、「衆生食を出すことを明かさば、あるいは食前にもあり、あるいは食後にもあり。経論に文無し。情に随って安置す(文)」。衆生食とは、衆生は鬼子母と曠野鬼となり。
 ○『涅槃経』十五に云く、「仏、曠野聚楽に遊ばれしとき、曠野鬼と云うものあり。純(もっぱ)ら血肉を食とし、日に一人を殺し食らう。仏、これがために説法したまえども受けず。ここにおいて仏、大力の鬼神と化したまう。これに怖れて仏に帰依す。また(仏、)本身に復(かえ)りてこれがために不殺戒を受けさしむ。その時に曠野鬼神、仏に白(もう)して言(もう)さく、“我および眷属、つねに血肉を食とす。今すでに戒を受けば何をか食らわん”。仏、鬼に告げて言(もう)さく、“我今まさに声聞の弟子に勅して、仏法の有る處に随って悉く汝に食を施す。もし施すことあたわざる者は、すなわちこれ天魔徒党なり。我が弟子にあらず”と」。
 ○『毘奈耶』に曰く、「訶利帝母(かりていぼ)、愛児を求むるために、仏、三帰五戒を受けしむ。仏に白(もう)して言(もう)さく、“今より何をか食せん”。仏の言く、“憂うることなかれ、剡部州において我が弟子有り。食の次いでごとに衆生食を出して、汝に施し皆な飽満せしめん”と」。
 ▲生飯(さば)の分量は『行持鈔』に『愛道尼経』を引いて、「指甲の大(ふと)さのごとし(文)」と曰く。これに依て七粒とするなり。『智度論』に云く、「鬼神は、人の少しばかりの飯食を得てよく変じて多からしめて食す」と。云えり(『資持記』にこれを引く)。