BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【世読】No.1 「無事是貴人」

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 本編の「息災とは災(わざわい)を息(やむる)と云う義なり」という「義」が真言家のものだとすれば、この義に近い禅家の言葉に「無事是貴人」というものがある。
 字面をなぞれば、何事もなく無事に過ごすことこそ貴人のありかた、とでも言えるだろうか。だがこの語の典拠『臨済録』に立ち戻ると事情はやや違うようだ。

 無事是れ貴人、ただ造作する莫れ、ただ是れ平常なれ。なんじら外に向かって傍家(のきなみ)に求め過(ゆ)きて、脚手(たすけ)を覓(もと)めんと擬(ほっ)さば。錯了(あやまれり)。
 「無事」であるのこそ貴き人。ともかく拵(こしらえ)ごとをしてはならぬ。ただ「平常」であるのみだ。外で一軒一軒たずね歩いて、自分を助けてくれる者を得ようとすれば、もうすでに誤ってしまっているのである。(読み下し、訳出はともに小川隆臨済録・禅の語録のことばと思想』)

 ここに言う「こしらえごと」がなにを指すか解れば話が早い。「あるがまま」「自然のまま」という言い方さえ近頃はメディアにひっぱりだこで、果たして唐代禅僧の本意がどの程度伝わるか心許ないが、本編の息災とは基本的に異なる言葉であることはあきらかだろう。しかしながらこの言葉と同じ系列にあるはずの「平常心是道」という言葉。これまた当世の禅家ではよく使われるところだけど、なにやら「無事是貴人」よりも「息災」寄りの解釈が多いように思うのは気のせいかな。