BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №120「露わにして印を結ぶことを得ず」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

 

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 問う、印を結ぶに袈裟の下にし、あるいは衣袖の中にして手を露わさざるいわれは如何。
 答えて曰く、これ印呪を重んずる義なり。もし露わにし軽くすれば、悪鬼神に碍(さえ)られて成就せず。
 『陀羅尼集経』第一(仏頂壇法)云く、自らかつて三昧道場に入り難ければ、心を用いて護し命を軽くせざれ。露處(あらわ)に印呪法をなせば、悪鬼神のために便りを得ざる。

よこみち【真読】№117/118/119「数珠ってどうよ?」

この連載で複数の本編項目にひとつの「よこみち」ってはじめてかも。
 にしても数珠に対する思い入れは強いね。そもそも巻一の№1からして数珠のことを取り上げていた。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/02/10/064322
巻五になると上掲の№117~119なんだけど、本編にはここで取り上げなかった「数珠の標幟」という項目もあるのだから、ここまでで数珠は五回も項目として挙げていることになる。子登の属する真言系の教えではこのように数珠に対する意味づけが重要視されているということなのだろう。
 そこで「よこみち」では、私の属する曹洞宗では数珠をどう見ていたかということを紹介して両者の対比を試みてみたい。
 とういうわけで道元の場合である。たずねてみると道元の言葉中に数珠を名指ししたものがある。次がそれである。

「寮中、高声に読経唫詠して、清衆を喧動すべからず。また励声を揚げて誦咒すべからず。また数珠を持して人に向うはこれ無礼なり。諸事須らく穏便なるべし」。

 これは道元の著『衆寮箴規』の一節。衆寮とは禅宗寺院の中に設けられた坐禅堂は別の、言わば修行僧の生活スペース。その室内における生活規律を定めたものがこの本である。「数珠を持して人に向うはこれ無礼なり」。う~む。こんなことって真言宗はもちろん他の宗派では言うものだろうか。
 道元ははじめ比叡山で修行したのだから天台密教の経験はある。たとえば抹香を手にすりつける塗香は今の曹洞宗ではほとんど行なっていない。しかし道元の著作の中には塗香してから仏像に向かうことが書いてある。数珠に関する伝統仏教鎌倉時代道元以前のという意味で)の所説を知らないはずはない。「人に向かう」時、という限定付きではあるが、道元の数珠に対する評価はかなり厳しいと言える。
 で、この厳しい路線を江戸時代になってさらに徹底させた禅僧がいた。その名は徳巌養存。道元の『衆寮箴規』の解説書『永平衆寮箴規然犀』を元禄十四年(一七〇一)に刊行する。その中でくだんの一節を次のように展開する。

 今、あるいは襟上に数珠を係け、あるいは掐(つまぐ)りて客に対する。もって厳具となす。矯異眩耀にしてもって利名をむ。これらをすなわち「威儀の賊」となす。我が祖、謂いつべし、澆季を明察すること星衡藻鑑と。

 近頃は、数珠を首輪のようにしたり、くりくりつまぐって客人に相い対したり者がいる。これは数珠を法具ではない厳具いわばアクセサリーとしているものだ。ことさらに素材に凝ってみたりきらびやかにしてみせたりしてちやほやされたがる。こういう者たちを「威儀の賊」というのだ。我が祖・道元禅師の言葉こそ、まさに言うべし、時代の末を明らかに見通せることは秤(はかり)目のごとく正鵠を射ているものだ、と。
 こんな試訳をしてみた。「矯異」の意がやや心許ないがどうだろう。ここでもっとも痛烈な一語は「威儀の賊」だ。さしずめ今風に言えば「ファッションなどにとらわれているうつけもの」(あ、言い回しがやや古いか)というところだろう。ここではすでに本編で複数の典拠を引いて示してきた頂髻、頸、手、臂にかける数珠の意義など一顧だにされていない。曹洞宗のある一面をぐんぐん延伸してゆくとこうなるといういい見本のような事例とも言える。おそらくこの言葉に共感する禅僧は少なくないはずだ。
 宮廷仏教として官寺の地位を連綿と継承してきた真言宗、自他ともに「土民禅」と称してひたすら都を忌避してきた曹洞宗。実際はそんなものではなかったが、なんとなくそんなステレオタイプをイメージしてしまう。
 かくいう私は、いい年した曹洞宗僧侶が、中高生のようにブレスレットよろしく法要時でもないふだんから手首に「厳具としての」数珠を掛けているのを見ると、あまりいい気はしないのである。

【真読】 №119「数珠の功徳」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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 数珠を造る法ならびに加持の法、『陀羅尼集経』の第二「文殊根本儀軌第十一」に出たり。この法に依って造り加持せざれば功徳少なし。深秘なれば今出さず。師に問うべし。
 ○『瑜伽念珠経』に念珠の結縁の功徳を説いて云く、「もしは頂の髻(もとどり)に安じ、あるいは耳に掛け、あるいは頸(くび)の上に安じ、あるいは臂に安ぜば、その人の所説の言論、すなわち念誦と成って三業を浄む」と(已上)。
 また云く、「もし髻に安ぜば五逆罪を滅す。もし頸に安ぜば四重の罪を浄む。もし手に持し臂に安ぜばよく衆(もろもろ)の罪を滅す(已上)」。
 『数珠功徳経』に云く、もし人、法によって仏名・陀羅尼を念誦することあたわずとも、ただよく菩提子の念珠を手に持し身に随えば、行住坐臥に出すところの言語までも、彼の念仏し呪を誦する功徳と同じうして福を獲ること無量ならん(已上)。
 これまた結縁の功徳なり。ただしこれは如法に加持して造れる念珠のことなり。今時、市肆に売買す数珠は、製も法に契わず。酒肉五辛を喫(くら)い、淫欲などの穢れに造れる物なれば論ずるに足らず。
 ○『一字頂輪王儀軌』に云く、「珠を敬うこと仏の如くして軽々しく棄触すべからず。何となれば珠に由て功徳を積んで速やかに成就を得るがゆえに(已上)」。
 また経には、頸に安ぜよとあれども、外道の髑髏を繋げ掛けたるに相似たるがゆえに、頸に掛けることを用いず。また耳(※原本は「其」)に安ぜよと云うは、清浄に洗浴したる時の事なり。常人の耳は垢穢多きゆえにこれもまた用いず。また髻に安ぜよと云うは、直に安(お)くにはあらず。浄き物を以て包み、あるいは函(はこ)に盛(い)れて髻の中に蔵(おさ)むなり。今はただ臂に掛け手に持するを通途とす。されどもこれまた穢れたる手を以て執ることすべからず。浄水を以て手を洗い香を塗って数珠を執るべし。「珠を敬うこと仏のごとくせよ」と云う経文を以て推して知るべし。

【真読】 №118「数珠の種類」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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 『金剛頂瑜伽念珠経』に曰く、「煩悩を滅せんと欲せば、まさに数珠を持して常に身に随え、専心に諸仏の名号を繋念すべし。
 しかるに数珠の多少に功徳の勝劣あり。一千八十珠を上品とす。一百八珠を最勝とす。五十四珠を中品とす。二十七珠を下類とす。
 手に念珠を持して心上に当て、静慮して念を離れて、心専注にして、もしは頂髻に安じ、あるいは身に掛け、あるいは頸上に安じ、及び臂に安ず。なお頂髻に安ずれば無間を浄む。なお頸上に帯すれば四重(殺生・偸盗・婬欲・妄語)を浄む。手に持って臂に上れば衆罪を除いて、よく行人を悉く清浄にせしむ」と。(已上、経文略)

【真読】 №117「数珠の起因」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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 『木槵経』に云く、釈迦如来、中天竺摩竭陀国霊鷲山に住せし時に、難陀国の波琉璃王、使いを以て仏に言(もう)さく、「我が国は辺国にしてしかも少(ちいさ)し。頻りに兵乱し五穀貴(たか)く、疫病流行して人民困窮す。このゆえに我安んぜず。如来の宝蔵は甚深広大なれば、修することを得ず。ただ願わくは世尊、慈悲を垂れて法の肝要を示したまえ」と。
 その時、仏の言わく、「もし煩悩業苦を滅せんと思はば、木槵子(もっかんす)一百顆を串(つらぬ)き徹(とお)して常にその身に随え散乱を息(やす)め、至心に勃駄(ボッダ・仏なり)、達磨(法なり)、僧伽(僧なり)と唱えて(すなわち三帰なり)、すなわち一つの木槵子を掐(つまぐ)るべし。かくのごとく百遍、千遍ないし百千万遍すべし。もし二十万遍に満せば、夜摩天宮に生じ、衣食自然にして、常に安楽ならん。もし一万遍に満せば、百八煩悩を断除せん」と。
 その使い、還って王に言(もう)す。王、大いに歓喜し、遥かに世尊を頂礼し、すなわち木槵子の数珠一千具を作らしめ、六親等に与えて善業を勧導す。王、常に誦念して軍旅に出れども廃(す)て置かずと。(已上)
 これ仏、数珠の法を説きたまう因縁なり。ただしこれは仏の随機の一縁なり。しかも実には無始本有の法則なり。謂わく、曼荼羅の尊の三昧耶形(さんまやぎょう)に数珠鬘(じゅずまん)あり。準提仏母・不空羂索・十一面観音・千手観音等の所持物の中にも数珠あるは、これみな法仏法然の標幟なり。釈迦如来の今、新たに造り出したまう物に非ず。
 また天竺の事火外道の本尊とする火大の持物にもまた数珠あり。これらは仏、出生以前よりあることなり。ゆえに実には自然無作の法具なりと知るべし。これ密教の深旨なり、容易に述ぶべからず。

よこみち【真読】№116「俺さまファースト?」

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本編「逆修」の件、もしこれが本編に添付した画像のように受戒を主題としているのであれば、その意味合いは、死後に受戒し戒名を得るよりも、生前に受戒自誓して戒名を受ける方が理にかなっている、という昨今多く云われている意見にたどり着くだろう。たしかに死後受戒よりも生前受戒の方が、仏教に限らず信仰に理解ある人であれば受け入れやすい考えだろう。
 だが本編で話題としている逆修の主題のもう一つは、こうした今日的な生前受戒に関する議論がまだ取り上げていないところにある。
 それは本編で引いている『仏説潅頂経』と『地蔵本願経』に見える所説だ。
 『仏説潅頂経』にいうところは、死ぬ前に七七日の供養、いわば四十九日の供養をあらかじめやっておけば、功徳はでかいよ、ということだ。
 そして『地蔵本願経』のいうところは、死後に故人の眷属が故人のために修福供養すると、その功徳の七分の一は故人へ、七分の六は修福供養した当の眷属たちのものになるのだけど、死ぬ前に自分で自分の死後のための修福供養をしておけば七分の一プラス七分の六で、功徳の全部を自分のものにできるぞ、ということだ。
 つまりどちらも今風な言い方をすると「俺さまファースト」みたいなことになる。いわゆる、功徳の独り占め。これっていかがなものだろう。
 実際この考え方は「預修生七」などと云われ、中世~戦国期の貴族や武士たちの間で流行を見たようで、生前に死後の自分のための七七日供養を行なったという複数の資料が確認されている。
 こうなってくると昨今の「生前受戒のススメ」みたいな議論とは別のところから「逆修」を捉えなおさなくちゃいけなくなるものだと思うのだが。

【真読】 №116「逆修」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号50

 逆は「あらかじめ」と訓ず。あらかじめとは先だってなすことを云う詞なり。我が死後の修福を生涯に先だって修すれば逆修と名づく。『釈氏要覧』には「預修」と云う。「預」もあらかじめと訓ず。同意。
 ○『仏説潅頂経』に曰く、「普広菩薩、仏に白(もう)して言(もう)さく、“もし善男女、善く法戒を解し、身の如幻を知って、いまだ終わらざるの時、逆(あらかじめ)生七(生七とは七七日の斎を云う。また累七とも、斎七とも云う)を修して、燈を燃やし、幡蓋を懸け、僧を請じて尊経を転念せば、福を得ること多からんや否や”。仏、言さく、“その福、無量”と」。
 ○『地蔵本願経』に云く、「命終の後、大小の眷属、亡者のために福を修せんに、その功徳七分の中、稍(ようや)く一分を獲る。余の六分の功徳は修するものの利益となる。このゆえに逆修は、七分全く得る善根なりと讃嘆したまえり」。