小松茂美「「百鬼夜行絵巻」の謎」『日本絵巻大成25 能恵法師絵詞 福富草子 百鬼夜行絵巻』1979、中央公論社
『百鬼夜行絵巻』の書誌と、この絵巻の目的に関わる考察。
一 百鬼と百鬼夜行
左大臣藤原頼長の日記『台記』康治3年(1144)5月5日条 「百鬼を見るの術」
暦法博士賀茂在方編『暦林問答集』(1414成立) 「夜行を忌む。てえれば、百鬼夜行日と名づく」
鎌倉時代『拾芥抄』巻下末 「百鬼夜行日 不可夜行」
大江匡房談・藤原実兼筆『江談抄』巻三 小野篁と藤原高藤が百鬼夜行に出逢った話
『大鏡』巻中 右大臣九条師輔が百鬼夜行に出逢った話
平康頼『宝物集』 同上
鎌倉初期『宇治拾遺物語』巻一 「修行者百鬼夜行にあふ事」
二 「百鬼夜行絵巻」と二種の模本
『訂正増補考古画譜』(19世紀成立)に記載のあるもの 土佐権守経隆筆 1316奥書
真珠庵本「百鬼夜行絵巻」一巻 土佐光信(~1469-1523~)筆 京都・大徳寺塔頭真珠庵蔵
「いったい、この絵巻は、なにを描こうとするのであろうか。また、なんのために、だれを対象として描くものなのか。今日の漫画にも通ずる諧謔味さえみせるこの絵巻が、室町時代という世相の中に、いかなる理由によって誕生したのであろうか。また、そうした必然性は、なにであったのか。考えれば考えるほど、わからない」
結語
「かつて、平安末期の頃に制作された、この原型「百鬼夜行絵巻」は、真珠庵本によって、新たに室町時代、絵師の手によって、室町絵巻として転生したのであった」
※思うに、この絵巻は 葬送行列を模したものではないだろうか。