般若湯 番外
ネット検索全盛でいろんな事柄が短時間でわかる現在の状況はすごいね。
昔「般若湯」を調べた頃は、
『大漢和』から『東坡志林』の引用文を引き出し、その原本に当たったり、
仏事習俗語彙集をあれこれめくって『谷響集』にたどり着き、そこから『釈氏会要』を探したりしていた。
でも今は、ネットで検索ご入力するだけでたちまちそれらにヒットする。
ガセも多いよと言われるネット情報だけど、かなり信頼度の高いものもどんどんアップされていて、ある程度の眼力さえ養っておけばかなり強力なツールになってきた。
そんなことを思って「般若湯」のあれこれを見ていたらあることに気づいた。
ネット上にみる「般若湯」関連記事を樹木の枝先に喩えてみると
そのネタ元をたどってゆく作業は、枝先から枝元へ、そして枝元から幹へそして根元へ、と探り降りてゆく作業に似ている。
そうするとその「幹」にあたるもの、つまり般若湯由緒の共通ソースみたいなものにたどりつく。それは『東坡志林』と『釈氏会要』だった。もっと言うとそれぞれを収録した『大漢和』と『谷響集』だった。もっともネット情報のうちのやや玄人っぽいものに『隠語大辞典』があってそれは明治期の編纂、これに『東坡志林』と『釈氏会要』の引用がある。それ以前の江戸期編纂の『谷響集』には『釈氏会要』があるが、よく読むとそれは『墨荘漫録』からの引用。
少しややこしくなってきたかもしれないが、何を言いたいかというと、諸説紛々のように見えるネット情報もこうしてたどるとごくごく先端の枝先がたくさんに分かれているだけで、「幹」に当たる情報は昔の成果を出るものではないということ。
この点『谷響集』などにみる昔の辞書類の博引捜索力は実に恐るべしだと思う。
じつは縁あって室町期禅林文化の華と言われる五山文学の註疏類を読むゼミに参加しているが、そこに見る禅僧たちの学識たるやまったく舌を巻く凄さがある。ネット検索や現在のように辞書類が整ったように見えるこの時代環境の中でも、かれらの知力には到底追いつけない。
そんなことをふと思い出した「般若湯」探索だった。