よこみち【真読】 №18「愛しき大黒さま」
このたびの本編「大黒天」の考証はなかなかだなあと思った。
画像にも掲げておいたけど
1 『南海寄帰伝』に記す、片足をおろした座像で金の袋を持ったもの
2 日本の儒者が言った、俵に乗って大袋を背負い頭巾を被ったもの
3 『大日経疏』等仏典の、マハーカーラ
4 『観自在三世最勝心明王儀軌』注の、象の皮を着て槍と羊と人頭を手にした三頭のもの
の四種の像容を列挙している。
「ググり」全盛の時代、「大黒」から派生してあちこち探していればさまざまなバリェーションに出逢うことが出来、すでに先行の業績も少なくない。本編で転載させていただいた画像もそんな先輩たちのサイトから失敬したものだが、このジャンルではネット検索程度では及びもつかないすぐれた成果がある。
彌永信美氏の『
かつてまだユリイカに連載中の『幻想の東洋』以来、この人のファン。おそらくfbグループのアップからこのブログにたどり着いてここまで読んで下さっている方の中にはすでにご存じの方もいるだろう。
で、『真俗』の「なかなか」だと思ったのは、なにもこの 彌永先生の大著に匹敵するなどと言うのではないが、複数の異なる大黒像を、安易に関係づけることをせずに、出典を明らかにした上で「またなにか典拠とするところがあるのだろう。明眼の師についてさらに尋求してみることだ」と、私見を抑えてさらなる研究を勧めているところにある。学問的な考証ってこんなだよな、と思う。
じつは彌永『
というわけで、そんな成果がすでにあるとすれば「よこみち」はどこに突っ込むかが問題となる。で、こんなときはR18系(笑)。すでに本編アップ時のコメントにあった〈大黒=住職の妻〉という用例に取り組んでみたい。え?本編に関係ない?だからよこみちじゃん。
この例、かならずしも寺院方にどこでも当てはまるわけじゃなくて、たとえば私の地方(秋田県北部)では一般的な用例ではない。でも全国的には広範に使われているみたいだ。
ためしにググったらなんと『住職の妻』なる書がヒットした。かの文豪・睦月影郎の手によるものとか。いやもうネット検索ってたいしたものだ。犬も歩けばネタに当たるってところかな。この書に突っ込んでもしょうがないのでスルーしてまいります。
〈妻〉なるものの別名に〈大黒〉が用いられたのはさもありなんという気もする。
だって、「食厨の守り神」で「福の神」だけど怒らせると鬼より怖い「暗黒大魔王」(いまさらだけど摩訶=マハー=大きい、迦羅=カーラ=黒)でしかもケンカしたってぜったい勝てない「闘争の神」でもあるわけですから。そんなの〈妻〉以外にないじゃない。
でもそれじゃ一般の在家の奥様たちも「大黒さん」でよさそうなのに、どういうわけか「おてらの奥さん」に限られるみたいだ。そのわけをたどるとどうも近世期にさかのぼる。そしてこれを知ってしまうと、気安く「大黒さん」とおてらの奥さんを呼ぶのがためらわれてしまうかもしれない。
『日本国語大辞典』「大黒」の中に次のようにある。
「僧侶の妻。梵妻。大黒天は元来厨(くりや)にまつられた神であることから、寺院の飯炊き女をいい、また、私妾や妻をいうようになったという。また、世をはばかって厨だけにいて、世間に出さないからとも」いうのだそうな。
ご存じのように明治以前、浄土真宗を例外として仏教僧侶は婚姻が許されなかった。原則、仏教僧侶は独身である。「原則」はね。しかし「修行者」としてのあり方より「ニンゲン」としてのあり方の方が勝っちゃう人はいつの世にもいる。お寺の中に女人を囲っちゃう、いわば「隠し妻」的同居人をもってしまうお坊さんもめずらしくなかった。この辺はお坊さんパッシングのごときいくつかの研究論文で暴露されているので、ごまかしようがない。
そうした例を伝える資料は江戸時代が多いみたいだ。
浮世草子『傾城禁短気』
「されば世間の人口をいとひ給ふ、歴々のお寺の方の大黒は、若衆髪に中剃して、男の声づかひを習ひ」
洒落本『無陀もの語』
「大黒を置く事はいかん。
僧答へていわく、それあぶ蚊に至るまで陰陽交合の道を知らざるべきや」
こうしたいささか後ろめたい隠語として用いられるようになったのが「大黒さん」だったのじゃないだろうか。そう考えると当時は多分に蔑称的ニュアンスもあったのじゃないかと思う。
それが明治に至って僧侶の婚姻が真宗以外にも認められ、公に「住職の妻」を迎えるようなり、近代的夫婦観やジェンダー的視点がお寺の中にも浸透してくるに随って、それまでの「後ろめたさ」が希薄になり、檀信徒の間でも蔑称ではなく親しみを込めた呼び名として「大黒さん」が広まってきたのではないかと思う。
婚姻に当たって性的ニーズの重要さは否定すべくも無いけれど、より大事なのは人生とか家族とかもっと大きな意味合いでの伴侶を迎えるということだろう(たぶん)。先に記した大黒天の複合的意味合いがここにおいてさらにふくれあがるわけですね。
というわけで世の既婚僧侶の諸老師、くれぐれも「大黒さま」をそまつにいたさぬよう、あらためて肝に銘じておきましょう。