BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№40「神は細部に宿りた・・がる」

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 本編は新章「厳具部」に入った。今回は旛、このあと蓋、華鬘、卓圍(打敷)と続く。
 この「web読書会」にご参加いただいている人は、禅宗曹洞宗)系の人が多いと思うのだが、こうした「厳具部」の項目を見ていかがだろう。
 私も曹洞宗に属する一人だが、正直なところ、「へ~、こういうものにもいろいろといわれがあるんだね」という感想だった。堂の内外を飾る荘厳具には、宗派による若干のバリエーションはあるものの、概ね共通していると思うのだが、禅宗においてその一つひとつの由来を教えてもらうことはかなり少ないと思う。
 『真俗仏事編』の所説が現在の真言宗、延いては密教系宗派の皆さんにどれほど伝わっているのかよくわからないが、ある知り合いの真言宗僧侶がこんなことを言っていた。
 「私達の方は、大小関わりなくあらゆる法具や鳴らし物に至るまで、仏の慈悲だとか、不動明王による縛めだとか、とにかく飾り紐の組み方や、香炉脚の本数に至るまで、事細かに意味づけされているんですよ」。
 神は細部に宿り賜う、とはちょっと違うが、これまた密教の特徴のひとつだろうか。
 禅宗にもじつは、無着道忠による『禅林象器箋』(1741序)という大作がある。ボリュームだけなら『真俗』をはるかに凌ぐのだが(全20巻。『真俗』は全6巻)、人口への膾炙という点から見ると心もとない。なによりも現場の禅宗関係者がこの書の説くところにあまり(にも?)通じていない。ま、この書はこの書でいずれ何かの形で取り上げることにして話を進めよう。(画像は『禅林象器箋』「旛」

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 ポイントはこうした一つひとつの〈コト・モノ〉について、それぞれの意味の宇宙を託しているということだ。
 やや業界の専門的なことになって恐縮だが、曹洞宗に「切紙」という相伝資料がある。ざっくり言うと、「一枚の紙に記された宗門の奥義」ととりあえず言っておこう。ほぼ内容は一枚につき一件で、これば何枚もある。これぞという弟子に対して、師僧から秘伝として伝えられるものだ。どんな内容かというと、禅の公案の解釈だったり、なにかの儀礼の指南書だったり、そしてこの一類に、曹洞宗の寺院や僧侶に関わる〈コト・モノ〉について記したものがある。その多くは「宗門秘伝」「道元禅師より嫡々相承」を名乗るのだが、どっこい曹洞宗の伝統的なテキストには見えない説も少なくない。だがこうした教えが場合に依っては非常に重宝されている。たとえば葬儀の時に使用するタイマツの意味、数珠の玉の一つひとつの意味、導師が手にとる払子の意味等々だ。現場ではこれらが、「なるほど、そうだったのか!」「これって、こういう意味だったんだ!」と喜んで受け入れられることが多い。
 このような状況を見ると、「みんな意味をほしがっている」のだと思えてしまう。「神は細部に宿り賜う」と言ったけど、人々の方が「どんなところにも神さまを見つけたがる」のじゃないだろうか。だからこそ『真俗仏事編』のような故事来歴を解き明かそうとする類書は売れるのですね。

 と、肝心の「はた」の話にならなかった。ま、いいか。