よこみち【真読】№96「騒々しい葬列」
門火と聞くと家の戸口で焚く迎え火、送り火のことをつい連想する。30年ほど前、川崎市内のお寺でお盆の棚経手伝いでお檀家さんに伺うと、玄関先に金物の菓子箱の中に小さな木ぎれを入れて火を焚いていたのを憶えている。本編もそれのことかと思って読み始めたのだが、ご覧のようにそれはけたたましい音の爆竹のことだった。当世のこととしては横浜や長崎の中国人街の映像で見る春節のお祭りなどでバチバチとにぎやかに煙を吹き上げる光景が放送されることがあるが、日本の風俗としてはさほどに一般的だったのだろうか。
こうして立項されているところ見ると、加えて子登編の『世説故事苑』にも「爆竹」の立項のあるところを見ると、江戸時代には決してめずらしくないものであったようだが果たして他の資料の様子を知らない。
小正月行事の左義長(もしくはどんど焼き、かまくら等とも)では、燃え上がるワラと一緒に、竹や打木などの爆ぜる音が除魔の力を発するなどと民俗学では言うが、このあたりがなんとなくつながりがありそうではある。だが本編を振り返る時、これは葬儀の際に死者(を伴った葬列)が外へ出る時のこととあるので、しばらく左義長などの風俗は外して考えた方が良さそうだ。
こうなると新たな疑問が浮き上がる。ここでいう葬列が家を出る時の爆竹の風俗は、江戸時代には一般的であったものが近代では廃れたということなのだろうか。
これを検ずるに、まずは江戸時代には「門火」風俗が一般的であったかどうかを調べなければいけないが、今のところそうした調査データを調べていないのでなんとも言えない。さっき述べたように子登の『真俗仏事編』「門火」と『世説故事苑』「爆竹」の立項が現在抑えている資料というだけで、ほかは未見である。一方現在のことはというと、私の見聞する範囲ではそうした情報を知らないが、どこかにはあるかもしれない。この収集データの乏しい状態で憶測もなにもあったもんじゃないが、密かに感じていることをコメントしておきたい。
それは「爆竹の音」に対する生理的嫌悪のことだ。いや、嫌悪感があるからこそ除魔だろうという批判はちょっとお待ちいただきたい。葬送というセレモニーの中にこの「いやな音」のする爆竹を今の日本人は取り入れようとするだろうか、ということだ。
今でも山間の集落では畑や山に入る際の獣除けとして爆竹を(あるいはその音源を)鳴らすということはある。だがその音を葬送儀礼の中に持ち込むことはない。〈悲哀・寂寥・静謐・嗚咽〉など葬送が喚起するイメージと、爆竹の
〈騒然・喧噪〉たるイメージは対極にあるものだ。私が本編「門火」を読んで感じた違和感はおそらく多くの方が抱くものだと思う。
こう考えてくると、「門火の音」をめぐる感覚を通して、江戸時代から現代に到る日本人の葬送観になんらかの変化が生じたという疑いが起こってくる。このことはまだあまり問題にされたことがないようだがいかがなものだろう。