BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№51&52「ジャランボン」

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 荼毘送りの行列。
 四本の龍頭を先頭に遺族と集落民総出で故人の亡骸を墓所まで送る。今ではほとんど行われなくなった。
 私の住む秋田県北秋田市の一地域の例。
 集落に死者が出ると、「ハナヒキ」の男衆が葬家に集まってくる。
 先ずは枕飾りの準備。ハヤダンゴとシカバナを作る。葬家の嫁など女達に指示してダンゴを作らせ、それを四個あるいは集落によっては六個、茶碗に容れる。これがハヤダンゴ。死んだらなるべく早くそなえるからこの名があるとか。また葬式まで上げておくと褐色に変色するからクロダンゴだなどと言われていた。
 長めの竹ひごを八本用意し、細い切り込みをたくさん入れた白紙を巻き付け、それを四本ずつ二枚の四角い板きれに立てる。白き花の咲き薫る沙羅双樹に見立てたシカナバがこれだった。
 次いで、ハナヒキの衆達は湯灌、葬列に必要な諸道具を手際よく作り続ける。故人の思い出、葬家の家族の動静、近頃あった村の出来事など口々に交わしながら。宵には葬家の女達がコップ酒と漬け物などの肴をすすめる。用具造りの共同作業。だがそれは近親者を失って動揺する葬家におしかけ、一室を占領して遠慮のない俗談に興ずるいささか迷惑な集団と受けとめられたことも場合によっては有った。とにもかくにも、臨終から葬儀終了までの2~4日間ほど葬家を会場にして行われる一つの儀式だった。

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 そんな光景も葬祭産業の振興著しいご時世にあっては遠くなってしまった。
 その遠い光景の一場面が葬列の「ジャランボン」である。行列の進行に合わせて、太鼓と鈸をボン、ジャラン、ボン、ジャランと鳴らし行く。その役目はたいがいハナヒキ役の仕事だった。「ジャランボン」とはその音にならってのことである。時によっては「ジャンボン」とも言われた。
 天上の奏楽が阿弥陀聖衆来迎の重要なモチーフであることは
〈よこみち【真読】№48「歌声に包まれて」〉
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/09/29/085023
で触れたけど、葬列もまた来迎の場面の再演であることはよく知られている。ジャランボン役のハナヒキの親父さん達は、阿弥陀聖衆の奏楽を演じていたのである。
 私自身も昭和50年代から平成20年代の前半頃まで、この地方の葬儀において、ジャランボンの奏楽をいく度となく経験した。青空高い秋の陽を浴びてまき散らされる米銭。雪に埋もれてわからなくなったあぜ道の上あたり、故人を容れた龕を馬そりに載せて田んぼの向こうの墓所をめざす吹雪の中。自分の経験が引き返しようのない時間の彼方になってしまったことにあらためて気づく。

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 「あの役はなれたものでねばやらいねもんだ」と言われ、ささやかだがひそかな優越の意識のもとにジャランボンをならしていた親父さん達。名人と呼ばれた人はもう自分もジャランボンで送られた。他もほとんどが80歳以上となった。彼らが再びハナヒキに従事する機会はもう来ないのかもしれない。