よこみち【真読】№76「なぞの踞坐」
今回の本編のタイトルで最初に頭に浮かんだのが画像のようなスタイルだった。
韓国で伝統料理の店に入ったら、食器は床にベタ置き、サクラらしい民族衣装を着た女性たちはこんな格好で食事していた。「食事の時は踞坐」と言えばこれ、と思ったのである。
今の日本では敬遠されそうなこのスタイルだが、行儀作法というものはTPOでいかようにも成り立つものだから、これに関わる好き嫌いは何ら問題としない。
ただ気になるのは本編で言っていた「踞坐」とはこれを指すのか、ということ。
座り方のバリエーションをみればかくもいろいろあるのだが。
今一度本編を読むと、そこにあるのは釈迦がスジャータから乳粥の供養を受けている場面。この場面を描く伝統的な構図はこういうものだったはず。
ここでは釈迦は坐禅をしていて、さきほどの韓国女性とよく似た姿はスジャータの方だ。だが本編で引くところの『三千威儀』の文章は、釈迦の方が「踞坐」していると読める。じゃいったい踞坐ってなに?
『仏教語大辞典』の「踞坐」の項には次のようにある。
うずくまること。両脚を立てたまま腰をおろした坐り方。
「両脚を立てたまま腰をおろした坐り方!」ということは、いわゆる体育座りってことか。
でもこういう ↑ 座りかたしている仏像ってあまり見ないね。膝を立てていると言えば、こういうのだったり、
気になって『図説仏教語大辞典』を覧ると、「坐相」の項目に「様々な坐相」の紹介があって、その中に「踞坐」があって、その図は次のようなものだ。
だがこれは、さっきまでの画像で言えばスジャータの姿に近い。この坐相はまた「胡跪」とも呼ばれるもので、この姿なら、いまの仏教儀礼の中でお坊さんたちも時に行う姿だ。相対するものに恭礼の意を示すものだ。いわば「心からあなたのことを敬っておつくしいたします」という身体表現で、仏教とは関係のない場でも転用されている。たとえばCAさんたちや、
クラブやキャバクラなんかでも、接客時にこんな対応をするところがある。
さて「踞坐」である。再び本編の文章に帰れば、乳粥を食するのは釈迦に違いないわけで、「食する時は踞坐す」というタイトルにしたがえば、踞坐しているのは釈迦の方になるわけだ。ということは先ほどの「釈迦とスジャータ」の場面は、乳粥を手渡すまでの場面を描いたもので、この後、粥を実食した釈迦は踞坐していたのだろうか。
う~ん、わからなくなってきた。もしかしてごく初歩的なところでつまづいているのかもしれない。どなたかスッキリした答えを教えていただけないだろうか。
」