BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№130「ガラスのごとき・・・」

「お坊さんって、女性恐怖症じゃない?」
 と、誰かからはっきり聞いたわけでもないし、そんな文章を読んだという定かな記憶があるわけではないが、でも誰かがきっとしゃべっていそうな気がする。少なくとも今回の本編のような文章に触れると自分などはそういう思いをいっそう強くする。
 ある宗派の話だが、といわゆる一般論だと思って読んでいただきたい。修行僧堂道場の立地環境の話である。人里離れた深山幽谷・・とまではいかなくとも、まわりにはなんにもないひっそりしたところにひっそりと伽藍を構える道場がある。一方、都市部の真ん中、ひょいと出て行けば色とりどりのネオンにぎやかな歓楽街に隣接した道場もある。
 ひっそりした方いわく、「祖師たちの教えの通り、このような深閑とした環境にあってこそ真の修行ができるのだ」。
 にぎやかな方いわく、「世俗の塵埃に囲まれたここにおいて清廉な修行に勤めることこそ、いっそう厳しい環境なのだ」。
 こんなやりとり、僧職にない一般に方々にとっては、じと~っと視線を向けたくなるようなものだろう。
 圧倒的に男性の頭数の多い仏教僧の世界で、釈迦の初めから女人は「悪」の役割を負わされてきた、と言っては言い過ぎだろうか。どうしたわけか本編に見るとおり男僧修行者にとって女性はアンタッチャブルな存在と意味付けられることが少なくない。
 これを読んだ女性からすれば、こんな言い分もありそうだ。「なに言ってんの。あんたなんかをどうして誘惑しなくちゃいけないのよ。自意識過剰なんじゃないの」と。
 男女ほぼ半々くらいに分布しているこの世にあって、もっとフランクでフラットな男女の位置関係が修行の場でも保証されていてよさそうなのに、得てして「女人禁制」なる場が多いのはなぜだろう。
 男僧はそれだけふらつきやすい。修行だなんていきがっても所詮その程度。などなどそんな声が頭をよぎる。男僧の貞操なんてほとんどガラス細工のごときもろさに思えてくる。
 親鸞上人のようなスタンスも一手ではあるだろう。
 昔のように、少々のうそっぽさも含みながら「出家主義」を標榜していた時代なら、強がり続ける向きもあるかもしれないが、いまのご時世、ほぼ結婚していることが当たり前となったこの状況下においては「女人」に対する新たなパラダイムができあがってなくちゃおかしいよな、と思うのだが。
 さてご同輩、いかがなものだろう。