下田正弘「〈近代仏教学〉と〈仏教〉」『仏教学セミナー』73 2001年5月、大谷仏教学会
〈仏教学が仏教を変えてきた、あるいは仏教そのものを作り上げてきた〉
アジアにはさまざまの仏教徒が生活をしています。(中略)これらの仏教徒たちはそれぞれの地域や歴史に限定された特色を持ちつつも、〈仏教徒〉として共通の世界に生きている意識を持っています。それは何よりも〈釈尊の教え〉という淵源を共有し、そこから生み出された世界を生きる意識に支えられています。もちろん地域格差や歴史的な相違を過大に評価するならば、それらはとうてい同じ仏教ではないという見方を主張することも可能なのでしょうが、実際には〈帰依三宝〉を中心とする教義や儀式の骨格、概要、体系など、基本的な要素を捉えるなら、いずれも仏教であるというのが穏当であると、ほとんどの人々は判断しています。
ところでこうした意識は、どのようにして生まれ、形成されてきたのでしょうか。実は現在のこの理解は、伝統世界の仏教徒たちの心にずっと昔から変わらずに存在し続けたのでもありませんし、時が進むにつれて自然に形成されたものでもありません。考えてもみましょう。例えばヒマラヤの奥地で暮らすチベット仏教徒が、自分たちの今生きている信念体系が、見たこともない東南アジアの平原に伝播した宗教や、極東の島国に流布した宗教と、実は同じ淵源を持つ一つの世界である、などという認識を自然に持ちはじめることがあり得るでしょうか。
こうした認識が得られるためには、それに見合う、しかるべき情報の収集、整理、組織化がなされ、さらにその組織化された体系の中に、自らの現状を客観的に捉え直す作業を完了していなければなりません。つまり、古代インドに起源をもつ一つのできごと‐釈尊の出現と仏教の誕生ですが、このできごとが時間的、地域的に展開し、その展開図の中に自らの日常を収め取り、俯瞰することができて初めて、いま私たちが抱いている〈仏教〉という世界が成り立つのです。
実はこの情報の収集、整理、組織化をなし遂げ、アジア各地の宗教を一つの体系の中に特定し得たものこそ、西洋近代における仏教研究の大きな成果でありました。
現在われわれが無意識のうちに持っているこの〈仏教〉とい認識は、ある特定の世界に、特定の期日をもって生まれてきたものです。それは十九世紀前半、ことに一八二〇年代前後のヨーロッパにおいてだと言われています。
アジア各地に散在する諸形態の宗教を、それぞれの地域内部から観察しても、そしてインドにおいて眺めても、現在われわれが認識する〈仏教〉はどこにも見えないのです。インドに仏教徒が存在しないのは研究の進展にとって本質的困難となるものでした。ではいったい〈仏教〉はどうやって今の姿を取るようになったのでしょうか。初めはそれらがいかなる宗教なのか理解し得なかった彼ら(引用者注:ヨーロッパの仏教研究者)は、まことに多年にわたる議論の紆余曲折を経た後、ついに十九世紀の初頭、具体的には一八二〇年前後に至って、ようやくある決定的な結論に至ることになります。すなわち、南アジアから中央アジア、そして極東アジアまでにわたって観察される宗教は、実は古代インドの一人の人物、シャーキャムニに起源を発する同一世界のできごとであることが確信されたのです。
もちろん日本でも中国でもあるいはスリランカでも、その伝統内部において仏教は歴史的な人物である釈尊あるいはゴータマから始まったものだという理解はあります。けれどもその認識は現在私たちが手にしている〈仏教〉という世界とは異なっています。この問題は後ほど取り上げます。
西洋世界に誕生したこの新たな〈仏教〉という概念は、その後確実に世界に広がっていき、ついには今日の研究者たちの〈仏教〉認識の基礎となるに至ります。そしてやがてそれは日本の仏教世界そのものに浸透しはじめます。なぜなら日本における仏教界の理論的指導者は、その多くが大学という教育機関によって知識を獲得してきたものです。そして大学で学ぶ仏教は、西洋世界から入ってきた仏教学が大きな比重を占めており、否応無く西洋に誕生した〈認識対象としての仏教〉を受け入れることになるのです。こうして結果として、研究者たちによる〈仏教〉という新しい認識の誕生が、その意味で〈近代仏教学〉の誕生が、現在の仏教そのものの理解に大きく関わることになりました。
このようにして生み出された〈仏教〉には、どんな特徴があるのでしょう。それはまず、〈仏教〉の中心点に来るものが、歴史的実在としての釈尊の存在である点にあります。(中略)歴史的人物が仏教の中心に置かれたことは、きわめて重要なことでした。しかしそれに劣らす重要なのが、その人物はキリスト教を布教したイエスとは異なって、預言者ではなく一大思想家、あるいは哲学者として考えられたことでした。〈仏教〉ということばを西洋近代で初めて使ったのは一八一七年、ミシェル・ジャン・フランソワ・オズレーの『東方アジアの宗教の開祖ビュッドウあるいはブッドウに関する研究』という書物であったと言われています。その中に記されていることは驚くべき今日的な事柄であり、この講演の中心テーマでもあります。
そこにおいてはまず、ブッダが神格化された人間でありけっして神そのものではないこと、もちろん俗人ではなく、偉大な思想家、哲学者であることが宣言されました。今述べたように、原始神々の世界、あるいは異端派のキリスト教徒などと考えられていたブッダが、キリスト教とも神とも無関係な人間である。それも合理的な思想を打ち立て推し進めた人間であると明言されたのです。こうしてブッダの人間としての実在だけを想定することによって、偶像神にまつわる長い歴史の曖昧さは見事に払拭されてしまいました。彼の言葉によりますと「無知や迷信によって祀られた祭壇を降りたブッダは素晴らしい哲学者であり、人類の幸福のために生まれた賢者」だったのです。
オズレーの態度は、またしてもわれわれの現在の姿勢を先取りしています。彼は「現在残された文献は神話的な装飾に満ちているが、その資料からかならず哲学者ブッダに相応しい合理的・知的体系が抽出できる」と主張するのです。
この研究態度から近代仏教学における文献中心主義がほとんど決定的となりました。
さて日本がこうした仏教学を受け入れたのは、西欧において〈仏教〉とうことばが誕生してちょうど五〇年後、半世紀のちになります。(中略)日本が開国した時期は西洋の仏教学がほとんど盤石な基礎を固めていた頃に当たります。
さてここで現在の仏教学の特質を考察するために、二人のわが国を代表する研究者を例として取り上げてみたいと思います。一人は和辻哲郎で、一人は中村元です。
まず和辻哲郎ですが、彼の名著『原始仏教の実践哲学』は一九二七年に出版されています。西洋にBuddhismという言葉が生まれて一〇〇年ほど後のことです。彼はいったいどんな態度で仏教を解明しようとしたのでしょうか。研究の基本態度について序文の冒頭に彼はこう書いています。
我々はあの大きい思想潮流の源泉として一人の偉大な宗教家があったという以上にその人物の内生や思想を規定しようとは望まず、ただ我々に与えられたる資料の内にいかなる思想が存しそれがいかなる開展を示しているかを理解せんとするのみである。
ここには、まさにオズレーの宣言したことと、まったく同じ内容が描かれていることがおわかりでしょう。オズレーが何を言っていたか。ブッダは哲学者であり、彼の〈知の体系〉が必ず残された資料から抽出できるというものでした。一一〇年後の日本で和辻も、期せずして同じ態度を取っているのです。仏教は思想であり哲学であり、ブッダはその「大きい思想潮流の源泉」に設定されるべき「偉大な宗教家」なのでありますが、その宗教家は「内生や思想」が、つまりは人物の具体的なありようが問題とされるのではなく、その人物によって展開された思想、そしてそれを記した資料の解読のみが、すなわち一定の〈知的体系〉が導き出されることのみが目指されるべきなのです。きわめて明確な方法論的自覚に基づいたこの試みは原始仏教研究史上において画期的なものであり、和辻はその仕事を見事になし遂げ、はっきりと新たな時代を切り開きました。
それでも和辻のこの態度は、次の二つの点で看過できない問題を含んでいます。一つは彼がブッダの存在を展開した思想の原点としてのみ捉え、その存在自体の考察を閑却してしまった点、もう一つはブッダの展開した世界を、一つの〈哲学〉に制約してしまった点であります。
しかしブッダの思想のみではなく、ブッダ自身がいかなる存在であったかに関心を持つ人にとって、つまり何よりも〈信仰者たち〉にとって、しそうないようとブッダの存在とは切り離すことはできません。体系的な思想が何であるかなど全く分からないまま、生活の中でブッダのひと言に接するだけで人生観を変えた人々がいたという事実は、ここではまったく葬り去られてしまうことになります。したがって和辻の試みを多少極端な明瞭さで表現するなら、それは〈信仰者から独立した知的体系の仏教世界〉を日本の仏教学会に打ち立てたものであったと言うことができます。
第二の問題も劣らず大切です。和辻は仏教がきわめて高度な哲学であるという意味でのみ思想であることを結論しました。そして、例えば律蔵に書かれている内容はあまりにも低級でとうていあの崇高なブッダと本来的な関係があるとは思えないとして退け、また経典に書かれていることであっても、たとえば縁起の解釈に輪廻を持ち込んだ理解などは、やはり同様の理由で考察の対象から外してしまいました。それは文献学的手続きからのみ帰結された結論というよりも、あらかじめ前提とされていた内容です。この第二の問題は、一見無関係に思える第一の立場とは実は一点で結びついています。それは仏教が〈信仰者を備えた宗教〉とうより、〈高度な哲学〉であるという理解です。
和辻の作業を踏まえるとき、中村元の〈ゴータマ・ブッダ〉論は、和辻が考察の対象から外した仏教思想の源泉としてのブッダに、その〈内生と思想〉とを復活しようとした試みとみることができます。彼の方法は〈伝説的空想的要素の多いもろもろの仏伝の類を意識的に遠ざけ〉て〈歴史的人物〉としてブッダを描こうとするものでした。これもヨーロッパにおいて発見されたブッダ像と見事に重なり合います。それは神話から切り離されたブッダであり、曖昧さを払拭した偉大な思想家としてのブッダであります。彼にとって描かれるべきブッダは、宇井伯寿や和辻哲郎が提示した思想を担う担い手として相応しいブッダの姿でありました。それは知的な高度な思想の源泉として、何よりも神話世界とは訣別した理性世界の体現者でなければなりません。オズレーの言う「無知や迷信によって祀られた祭壇を降りたブッダは素晴らしい科学者であり人類の幸福のために生まれた賢者」だったという理解は、中村がその著書の中で目指しているブッダに生き写しのイメージであります。
けっしてあらゆる研究がこの二人の碩学の態度に収まってしまうわけではありません。しかしそれでもこの態度は、現代日本における仏教研究の代表的なありようと言ってもいいのではないでしょうか。この二人の学者の作業を見たとき、いずれもが近代西洋において発見された歴史的ブッダ、そしてその思想としての仏教という認識の枠の中にうまく収まってしまいます。しかしその反面、わが国において伝統的に存続してきた仏教理解には必ずしも馴染まないのです。
仏教界の理論的指導者は同時に仏教研究者であることが少なくありません。また各宗派の僧侶も大学という高等教育機関においてその教育を受けます。そこにおいて〈仏教とは何か〉という認識を作り上げる作業が行われるわけですから、仏教学のありようが仏教そのものに影響しないはずはありません。そしてブッダが何よりも理性的な人間であり、その経典には本来高度な哲学的思索のみが展開されているべきであり、一歩進んでその他の要素は仏教ではないと判断すべきならば、今日存在する仏教の内容の相当な部分が退けられなければならなくなるでしょう。少なくとも儀礼としての葬式に携わり、輪廻を想定することばを語り、歴史的人物であるブッダとは直接関係しない大乗経典を読む僧侶は、仏教徒の仲間入りはできないことになります。
問題は大きく分けて二つあります。一つは西洋近代がブッダという存在を神とは切り離し、一人の偉大な〈哲学者、道徳家〉と捉えるところに発しています。もう一つは、これと密接に関連しますが、仏教の意味を〈インドという起源〉に強く限定してしまった点です。
ブッダを〈哲学者、道徳家〉と決めたことによって、研究の前提として次の二つのことがあらかじめ決まってしまっています。一つは仏教は哲学であるため、解明する材料は特定の文献に限られること、もう一つはその文献から読み取られるべきものはあくまで哲学であり、理性を超えた神話でも、理性以下の日常でもないこと。
このため、先に述べましたように、近代仏教研究においては文献偏重的態度が強固になりました。
伝統的世界の仏教徒の場合、文献に向かいながらも彼ら自身は文献以外の広い仏教世界に包含されています。仏教徒である以上、一定の戒律に従い、儀式を守り、礼拝をし、さまざまな実践をするわけですから、生活自体がさまざまなレヴェルの表現に巻き込まれています。文献の世界はあくまでその中の一つとして存在し、文献外の世界との関係の中でその意味を発揮し続けてきたのです。ところが西洋近代の仏教研究に生まれた文献主義は、そうした土台を一切捨象し、生活の場から切り離された研究に向かいました。そもそも仏教徒でない彼らには、仏教という生活に包まれた文献のありようを想定することは容易ではありません。
こうした点は現代の日本の仏教学者も置かれている状況が似ています。なぜなら学者であるためには、必ずしも仏教学者である必要はありません。したがって文献研究が仏教の文献外の世界に巻き込まれている必要はなく、そこでは文献のみの価値を周囲から自立させておくことができるのです。
仏教が何よりも高度な〈哲学、道徳〉であるべきだという態度からは、研究の結果として目指すべきものが〈神以下で日常以上のもの〉に限定され、それに応じて研究者たちは、文献の中でも取り上げるべきものと捨て去るべきものの選択へと向かうことになりました。
例えば和辻の原始仏教思想の研究では、当初は純粋に知的な思想であった原始仏教が徐々に民衆化し低俗な要素を含むことになったという筋を立て、それを歴史の実際だったかのように前提としています。けれどもきわめて高度な思想を持った仏教者でさえ、きわめて〈低俗な〉規定をなす律蔵には必ず従って生活をしていたということの方が、はるかに歴史的事実であろうと思います。歴史的現実は複数の要素を持って描かれるべきあり、単一の次元に還元しきれるものではありません。
第二の大きな問題(中略)、仏教を〈インドという起源〉に特定する態度は、一口に言えば、仏教研究において起源の意味を表面化、あるいは単一化し、その起源からの正当性を重んじるという傾向を定着させました。
もし現在までに展開した仏教世界が、その単一化された起源の意味によってすべて説明できるというのなら、仏教研究は本来インド仏教研究以外に、更には原始仏教研究以外に意味は持たないことになりましょう。
近代仏教学はまさにこうした傾向を持っており、しばしば仏教の意味を起源のインドからの距離において計ろうとします。それは時に〈正統な仏教〉とい観念に研究者を誘導し、研究者はインドにおける歴史的ブッダの〈真説〉を確定し、そこからの遠近関係によって本来の仏教であるものと仏教に非らざるものとを確定しようとします。近代仏教学によって建てられた起源としての仏教は、理性的ブッダによって説かれた哲学ありますから、結局はこの理性的哲学に合わないものが非本来的仏教と見なされることになります。
行き着くところの展開は、純粋なものの不純化、あるいは高級なものの低級化の流れであることを免れ得ず、せいぜい評価されるものがあるとすれば、それは明かされた起源の精一杯の模倣ということになります。
こうなりますと、各地、各時代に展開した仏教のそれぞれの個性を積極的に仏教として認め、研究の対象としようとする試みは、きわめて現れにくくなります。起源が純粋であり、あとはせいぜいその模倣か、ほとんどの場合は不純化や堕落でさえあるとすれば、今世界に存在している仏教は、価値的に起源以下のものであるか、あるいはもはや仏教ではない何かでしかないからです。
じつはわれわれが最も考慮しなければならないのはこの点でありまして、すでに一九世紀西洋において明かされた〈仏教〉の起源の意味は、仏教の一つの起源の姿ではあっても、そこにすべてが尽くされたわけではないと考える必要があるのです。起源によって現在が照らされているという構造を前提とし、未だに仏教の起源の意味が不確定であるという立場に立つなら、それはとりもなおさず現在の仏教の起源の意味が明らかになっていないことになります。起源からの意味が確定されていない世界とは、いまだ過去として完結していない世界であり、現在も意味形成途上にある世界であります。つまり、近代仏教学において明かされた仏教の起源の意味を一度疑問に付すということは、仏教世界を過去のものとして、すでに閉じた世界として捉えることを止め、現に生まれつつある開かれた世界として理解し直す試みなのです。
そうなれば同じ仏教文献を相手にするにしても、その向かい合い方が変わって来ます。例えばある経典を読むとき、その読み方としては、それが過去のいかなる状況において生まれものかを探るという読み方もありますが、一方で現在いかに機能しているかを捉えることも必要になります。仏教がいまだに生み出されつつある一つの過程であるとすれば、経典の読み方も今造られつつある者と考えなければなりません。テキストには、過去の歴史において生み出されてきたという側面と、現に機能しつつあるという側面とがあるのです。実はこの二つの要素が共存するところにこそ、宗教世界一般を成り立たせる〈解釈学〉の生まれ出る余地が与えられるのです。(中略)テキストが現に機能しつつある世界とは、テキストの意味を生き続けている人々の世界であり、わかりやすく言えば今を生きる仏教徒の世界にほかなりません。
実際の仏教世界において、〈法〉も〈僧〉も〈仏〉とともに成り立ってきたものであり、その〈仏〉は過去の歴史で存在が完結したゴータマに限定されているのではなく、仏教が存在している以上何らかの形で現に機能し、はたらき続けている性質のものです。この〈仏〉のはたらきが実感されるのは、認識としての〈仏教〉学の場においてよりも実際の仏教の場において、つまり仏教との世界においてでありましょう。実は近代仏教学に抜け落ちていた視点は、この〈仏〉を相手とすして仏教世界を生み出す〈信仰者の視点〉と言えるのではないでしょうか。
この視点を意識した場合、研究者は二つの態度を取ることができます。一つは信仰者内部の視点に立ってみること、一つは信仰者の外部に立って彼を観察することです。これはいずれも仏教の研究にとって重要なものです。近代仏教学は往々にしてこの二つのいずれでもない第三の立場、すなわち信仰者のいない世界に立っていたように思います。
実際に信仰者の存在を取り入れた仏教研究をなそうとすれば、現代の仏教徒を見定め観察した上で古代に遡っていくという、近代仏教学が出発点において行った作業を、より広い視野で再度やり直さなければならないことになります。(中略)そのためには現代を視野に入れた諸学問、文化人類学や宗教学をはじめとした隣接諸学問の手助けを借りることも不可欠となってくるでしょう。私たち自身はそうした学問を主要な方法とするものではありません。しかし、その成果に敏感であり、それによって自らを照らし直すことは可能であります。仏教という世界は、いつも変わりゆく現実と、変わらぬ歴史を超えた真理との関わりの中に保たれてきました。あるいはこの関わりを保つ努力こそが、仏教世界を作り上げていると言えるかもしれません。ここに実は、仏教の中心に位置すべきブッダの存在が、歴史的でありながら超歴史的でもある所以があります。