BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

よこみち【真読】№129「ストイックさの彼岸」

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 『真俗仏事編』を読んできて思う一つに、編者子登の現実を見る目が寛容的だということがある。以前、在家の斎会に酒を勧められたらどうする、という話題を扱ったことがあったが、その時にもそう感じた。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2016/01/15/082444
 仏教者だったら酒は一切ご法度、というのではなく「酒を施すもまた在家の菩薩行」とかなりゆるやかで譲歩的。つまり、僧侶の「あるべき」理想の姿よりも、世俗とともにある「現実的なあり方」に理解がある。
 今回の本編もそう。蚕衣、金襴衣として話題に上げているのは僧侶のまとういわゆる高級志向のお袈裟と言うことだろう。質素な木綿や麻素材の布製ではなく、高価な絹製や金襴織のものを指している。とうぜんここで想定されているのは、当時の僧侶達のようすのはず。「近頃高価な袈裟を身につけている坊主がいるけど、あれってどうよ」というまなざしがここでは背後にある。
 ここで禁欲的な立場から言えば、本編も引いている道宣律師の意見にしたがうはず。しかし子登は、そうした道宣の見解も隠さず紹介しておきながら、なおかつ相対する義浄の見解を引き、加えて『不空羂索経』の文例も挙げて「果上荘厳の衣を受用することもっともかなへり」としめくくる。
 おそらく道宣的な批判のまなざしを感じながら居心地の悪い思いをしていた高級袈裟の僧侶達は、子登の言葉によって溜飲を下げていたことだろう。だからと言って、子登がけっしてそんな輩の太鼓持ちだとは思わない。教条的にストイックさを要求するのではなくて、現実のあり姿に対する優しさにも似た態度があると感じられるだけだ。
 この点、子登と同じ時代にかぶっている冒頭画像の修験者は、私の近在で活躍した人だけど、その肖像でもわかるように、生涯を墨染めの法衣で貫いた。当時、修験者の妻帯世襲もめずらしくなかった当地にあって、自身十四歳の時に、生涯「酒肉男女の欲境に堕せず」黒色の法衣で通す誓願を立て、68年間の一生それを守り通した。
http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/ISBN978-4-87294-861-5.htm
 ストイックさと寛容さと。迷うまでもなく自分は後者の側なんだけど、だからこそ前者を貫く人にそそられるんだな。