BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

【真読】 №139「世間の学」 巻六〈雑記部之余〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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 俗典に達し、詩文を巧みにし、書を能くする等は、並びに世法なるを以て僧の事(わざ)とするに非ず。然りといえども外道を伏するために外書を学せよと『四分律』にこれを聞く。このゆえに世法の学を得るとも僧の誇る所に非ず。
 ○『資持記』に云く、書算・卜術・俗典・文頌、倶にこれ世法なるを以て、出家の業に非ず。因縁のための故に時々またこれを許す。今時の釈子、名実ともに喪いて、書写を能くするときは称して草聖とす、俗典に通ぜば自ら文章と号す、地を択ぶときは名づけて山川となし、卜術するときは呼んで三命とす。あに意家を捨て仏に事(つか)ふもの、流俗の名に随順せんや。

よこみち【真読】 №138「仏教儀礼の執物」

 執物(とりもの)。神道儀礼ではよく知られた名前。
 たとえば『神道辞典』は、
「採物
 神楽などの神事芸能で舞人が手に持って舞う物。執物、取物とも記す。あるいは神事・舞に用いる用具を清めるための舞において、舞人が手にする物を採物ということがある。採物には本来、神の依代としての機能があり、神力が発動すると考えられている。また、採物に降臨した神を舞人自身にとり憑かせ、神がかりに至るための手段として用いることもある。平安時代に成立した宮廷の内侍所御神楽は、各種の歌を歌うことを主体とした神楽であるが、降神神事に関するはじめの部分では採物の歌を歌う。歌の種類には榊、幣(みてぐら)、杖、篠(ささ)、弓、剣(つるぎ)、鉾(ほこ)、杓(ひさご)、葛(かずら)の九種がある」と、
 またこの九種神楽歌について『日本民俗学辞典』は、
「この神楽歌は、一、採物(神おろし)、二、前張(さいはり)(神あそび)、三、星(神あがり)という構成となっていて、このことから採物は神おろしあるいは神迎えの道具とされたと考えられる」と指摘し、さらに
折口信夫の「上世日本の文学」によれば、採物は霊魂をゆり動かすことで、その霊魂を身につける道具へと用途を広げたものという。採物は神霊の降臨を願うもので、これを持つことで神が宿るとされ、神の依代としての機能をもつ。そこから神事に起源をもつとされる諸芸能において、主役を務めたり、指揮の役のものが手に携えるものを採物と呼んだ。またそれを持つ者にも神の依代としての性格を付与する。一方これを手にして振ることで、神霊を発動させる祭具・呪物としての機能も同時に内包している」と説明している。
 
 このように神道の採物の解釈を見ると、それは神との交流を軸に説明されているもので、すなわち宗教学的な立場からなされていることがわかる。
 一方、仏教儀礼においても儀礼執行者が手にする道具はさまざまある。たとえば禅宗関係のものを『禅林象器箋』から拾ってみると、竹篦、禅杖、数珠、錫杖、拄杖、拂子、如意、そして本編の扇など種々にわたる。そしてこれらについての説明を見ると、その由緒来歴、造作の具体、仏典内での用例、儀礼中の用い方など、それなりの解き方がなされるのだけど、神道の採物のような「神の依代」的な記述にはほぼ出逢うことがない。
 仏教の用具なのだから「神の」などという説明があろうわけはない、との批判もあるだろうか。その場合は「神」という表現を「超常的力」「非日常的力」などと言い換えて考えてみてもらいたい。
 たとえば竹篦の場合。
 首座法戦(しゅそほっせん)式という法会がある。法幢師に代わり、一座の説法を託された首座和尚が、師から竹篦を譲り受け、法戦に臨み、無事に訪問を終えると竹篦を師へ返す。この竹篦と一時的に付与されるとき、首座には一時的に師家としての器量が具わる。そして竹篦の返却とともにその器量もまた身から離れる。この一場面などは、一介の修行僧に「超常的力」が発言されるきわめて象徴的な場面だと言えるだろう。
 また拂子の場合でも同様。
 たとえば葬儀引導の場合、拂子を振るうことによって導師は獅子の威をその身に帯し、冥界の死者をして成仏に向かわしめる力を発現する。
 このように仏教の場合でも「採物」的な解釈は十分に可能なものと思うが、なぜそうした例が少ないのだろう。

 思うに、仏教渡来以前から存在したと言われる神道儀礼は、折口信夫等を契機とする近代的な知によって新たに発見されたのであって、その近代的な知とは、多分に民俗学的・宗教的なものであって、伝統的な神道教説とは別のアングルからの視点を提供するものであった。
 一方、仏教儀礼の場合は、伝統的な仏教教説による説明の体積がうずたかく、その立場が正当とされ、容易に民俗学・宗教学的知見を持ち込みにく状態だった。それゆえにそうした視点から解釈しようとするものは、仏教学の傍流として、仏教民俗学などのレッテルを貼られてきた。
 とそんな印象をもっているのだがどんなものだろう。
 だが事実、仏教儀礼における諸道具・器物を考えるには。上述の「依代」的観点が有用だと私は思う。仏教者にしても神道者にしても、同じ日本人であるのだから、この国土の宗教性をベースに考え直してみることも必要だと思う。

【真読】 №138「扇を執るは僧の礼」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

maiko 舞妓 Kamishichiken 上七軒 Katsuna 勝奈 KYOTO JAPAN

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 僧の扇を執るは、これ礼なりとす。
 『要覧』に云く、西天、多くは扇を執る。『阿含経』に云へるごときは、阿難と羅云(らうん)と皆な扇を執りて仏に侍す。優婆律蔵を結集するとき、波斯匿(はしのく)王、象牙の装扇を与えて律を誦せしむ。また古えの高僧・慧榮、経を講ずるとき扇を執る。隋の煬帝は、高僧・敬脱に大竹扇の闊(ひろ)さ三尺あるを賜うて、禁中に入れ経論を講ぜしむ。

よこみち【真読】№137「あなたも私もありがとう」

 

乞食・托鉢の話題は本編の巻三№69「托鉢の僧に施す」でも取りあげていて、そのよこみち「マジメだけじゃ、つまんない」で行乞に関わるいくつかの説を紹介した。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2016/01/17/101801
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2016/01/20/124119
 その際、布施に関わる子登の「自ら省みるべし、些(すこし)の施をなすとも、名聞に罹(かか)り、あるいは他に誇る志ならば無益」なり、という言葉に、かなりのキマジメさを指摘したが、おなじことは今回にも通じて言えそうだ。
 行乞に当たっては、貴賤を選ばず、富める者に対しても、貧しき者に対しても、「平等に」行乞すべき指摘がそれ。少しばかり子登の気持ちを「そんたく」してみれば、迦葉や須菩提のように、相手の貧富の度合いによって行乞をためらうのは、その法の精神にもとるものだ。なぜなら、行乞とは相手に対して「布施行」という浄行へと誘う一大契機であり、当の行乞者は自分の身をあえて卑賤にも見えるところにおいて、衆生の浄施行を誘発するものだから。

 いま一度、前に挙げた行乞の教え二種を挙げておくと次の通りである。
 『法集経』「乞食三意」
 一、珍味を貪らずして美悪均等
 二、我慢を破せんがために貴賤同じく遊ぶ
 三、慈悲平等にして大いに利益す
 指月慧印『行乞篇』
 行乞は理事等の論に非ず。仏祖の正伝骨髄なり。いま末法時世の人師、その習俗悪しきをもて、真行を卑劣野体なり、とそしりて十指ともに動ぜず。一歩わずかに移さざるを、高徳大道なりと思えるは、愚暗の甚だしき、実に無道心なるゆえなり。
 子登の「平等」の言は『法集経』に適い、子登の行乞を誤解している輩に向ける批判的態度は指月の言い方に通じていると言えるだろう。

 ここでやや問題の方向を変えて、子登や指月が批判しているところに目を向けてみよう。つまり、なぜ托鉢・行乞・乞食が、世間の多くからさげすまれたまなざしを向けられていたのかという点である。
 これも以前に触れた話題だけど、廻国修行者のこと(№86「廻国納経」)を取り上げた際、
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2016/06/02/073848
 江戸時代の「ろくぶさま」について紹介した。
http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2016/06/23/084734
 本来は写経した『法華経』を納経するために、全国六十六箇所の札所を巡礼して歩く廻国修行の姿を真似て、恰好はそのままでも、仏教への信心はほとんど無く、写経・納経も形ばかり、じつのところは様々な理由で自分の住む村を追われ(あるいは逃げ出し)た者が、年貢課役などの義務から放れて、修行者のために食事や宿を提供しようとする一般の信心に巧みに取り入って身過ぎ世過ぎ使用とする連中が少なくなかったという。
 行乞もまたそれに似て、子登が言うような本来の宗教性は忘れられ、働かずして食い物にありつくという、そのようすが乞食を「コツジキ」と訓まずに「コジキ」と訓んでしまう風潮ができてしまった。
 世に言われる「乞食と坊主は三日やったら止められない」という言葉はいつ頃できたものかわからないけど、そんな傾向を苦々しく思う子登(や指月)の胸中は充分に察することができる。

 最初にあげた画像を見ていただきたい。布施を受ける托鉢僧たちはたったままだが、布施する人の方は地面にひざまづいている。不審に思う人がいたかも知れない。
 「どうかおめぐみを」
 「かわいそうに、ほらあげるよ」
 という構図ではないことがよくわかる。
 「どうか私に御布施をさせてください」
 「あそう、どうぞ。きっとあなたには幸いが訪れるよ、ごくろうさま」
 という構図こそ、ここに現れているものだ。
 これを踏まえたうえでこそ、
 「私に布施というすぐれた仏行をつとめさせていただいてありがとう」
 「私が用意させてもらった機会に応じていただいてありがとう」
 という双方の幸せが成就する、ということなんだろう。

【真読】 №137「乞食(こつじき)の法」 巻六〈雑記部之余〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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 今の托鉢の僧をみるに、多くは口を養うためのみ。なんぞ杜多(づだ)の浄行ならむ。まことに誡むべし。このゆえに如法を知らしむ。
 『行事鈔』に『四分律』を引いて云く、比丘、村に入て乞食せば、清旦に清く手を洗い、七條を着し、鉢囊の中に打露杖を執って、道に在りて行なうべし。常に善法を思惟すべし。もし聚落に近づけば、大衣を着すべし。右の手には杖を執り、左の手に鉢を持って、道の側らに行って次第に乞食せよ。もし俗人の食を送るに、迎え取ること得ず、喚び来たらしむるに、往きて取ることをよくせざれば(原文は「除喚来往取」)、強いて乞うことを得ず。まさに得る者の立って待つことを知るべし。(以上略出)
 ▲『資持記』に云く、次第乞食とは、豪賤を択ばず。『楞伽』の中に、迦葉は富を捨てて貧に従い、須菩提は貧を捨てて富に従う。俱に仏のために呵せらるる。平等に非ざるゆえに。

よこみち【真読】 №136「業のことなど」

 業の問題をしばしば取りあげている道元だが、今回の本編のテーマに触れて、永平広録の中の次の説示を取りあげてみたい。

 それは広録巻7-517上堂である。

 闍夜多(しゃやた)大士と鳩摩羅多(くもらた)尊者の問答に因んで道元が展開する場面だ。

 大士が尊者に問う。

「私の両親はかねて三宝を信じているのに、いつも病気にかかっていて、やることなすこと思うようになりません。ところが隣家の者は旃陀羅(せんだら)の悪事をなしているのに、身体は頑健でその行いはすべてうまくいっています。いったい向こうはなんの幸いがあり、うちにはなんの罪があるのでしょう」。

 尊者は答える。

「なにを疑うことがあろう。善悪の報いには三つの時がある。およそ人は、仁ある者が夭折し、暴悪なる者が長寿であると、悪逆なものは吉で、正義なる者は凶であると見て、因果の道理などなく、(善因善果・悪因悪果などという)行いに対する罪福など空しいと思うのものだ。しかしそれはまったくのもの知らずというもので、影が形に随い、響きが音に随うように、ほんの少しも違うことなく、(その真理は)たとえ百千万劫を経ても、摩滅したりしないのだ」。

 このやりとりを挙げた後で、道元が〈三つの時〉のことを次のように言う。

「現報というのは蕎麦である。生報とは大麦である。後報とは好堅樹である」と。

 上堂語はこれで終わり。

 道元の言葉を少しく敷衍すると、

 現報とは順現報受のこと。これは今年蒔いた種が今年のうちに刈り入れることができる蕎麦のようなものだ。

 生報とは順次生受のこと。これは今年蒔いた種が来年に実る大麦のようなものだ。

 後報とは順後次受のこと。これは長く地中にあって百年後に芽を出すという好堅樹のようなものだ。

 さて、昨今「業」について話題にしようとするととたんに暗いイメージがつきまとうと感じるのはどういうわけか。そのように感じる人は私だけではないと思う。曹洞宗で「悪しき業論」というフレーズで、さまざまな場面で繰り広げられていた「業」に関する言説が、さながら言葉狩りのように糾弾されたことを、曹洞宗の人ならば誰でも記憶しているだろう。ここで不用意に「言葉狩り」などと表現し、そうした傾向に批判めいた言い方をすると、すぐにも「お前もかっ」と指弾されるのかもしれない。

 だがここであえて確信犯的言い方をしているのは、「悪しき業論」問題へ批判を挑もうとしているわけではない。その初出である大元の論者達(身近な人間も少なくなかった)の言い様は、同じ時代を過ごした者として共感できるものであったし、もしかすると私自身も同じようなことを口にしたことがあったかもしれない。私の言い方が批判めいて聞こえるとすれば、それは現場で展開されていた「悪しき業論」を語る亜流の者たちに対して苦々しく思うところがあったからだろう。

 だがここではそうした批判めいたことを述べるつもりはない。〈業論〉についてもっとフラットな言い方がされる余地はないだろうか、と思うのである。その余地がここに引いた道元の三つの譬えにあるように思うのだがどうだろう。

 蕎麦と大麦と好堅樹の譬喩はきわめてわかりやすい。私たちが日常レベルでするりと得心できる説明だ。

 たとえば今の自分を終点にして考えてみると、

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 a:自分あるいは誰かが近時に行なったことが今の私に与える影響

 b:かつて自分あるいは誰かが行なったことがしばらくの時を経て今の私に与える影響

 c:関知できないくらいの遠い過去に誰かが行なったことがめぐりめぐって今の私に与える影響

 この三種の時を三時と言い、それぞれの時点の行いと影響を三時業と言う。

 たまたま三つの時と言ったまでで、このことは過去のあらゆる時間が、今の私に影響を与えているという捉え方をしてかまわないものだろう。

 こんどは今の自分を起点にして考えてみよう。

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 x:今自分で行なったことがすぐ後の自分あるいは誰かに与える影響

 y:今自分で行なったことがしばらく後の自分あるいは誰かに与える影響

 z:今自分で行なったことがずっと未来の誰かに与える影響

 これもまた三時業と言えるのだろう。

 すると現在の私を基点にして、延々と続く過去と、同じように延々と続く未来へと〈業〉はつながっている・つながっていくことになる。

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 自分という存在が過去のあらゆる時間に影響されていて、同じように未来のあらゆる時間に影響を与えうる。自分が大きな時間の流れの中で抜き差しならない一点を占めているという自覚を三時業の考え方は促すように思う。

 「孤独」から救われる一つの手段のようにも思えるのだけど。

【真読】 №136「業報は聖者も免れず」 巻六〈雑記部之余〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

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テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号58
 
 『増一阿含』に云く、大目連、乞食に出て梵志に囲まれ、瓦石を以て骨肉を打たるる。これ往業に依てなり。
 それより還りみれば、舎利弗、風の疾いを以て先だって入滅す。三界の諸天、涙を堕すこと雨の如し。ゆえに知んぬ。業よく随逐して聖に至ても免れず(『行持鈔』)。