2016-01-01から1年間の記事一覧
釈氏の喪に奔(はし)る(弔を云う)は、大迦葉を始めとす。仏、入涅槃し已(おわっ)て七日、迦葉、徒を領して双林に至る。仏、金棺より双足を出してこれに示す。○行て弔う法、ならびに弔いを受ける法、『行事鈔』に見えたり。
門火と聞くと家の戸口で焚く迎え火、送り火のことをつい連想する。30年ほど前、川崎市内のお寺でお盆の棚経手伝いでお檀家さんに伺うと、玄関先に金物の菓子箱の中に小さな木ぎれを入れて火を焚いていたのを憶えている。本編もそれのことかと思って読み始め…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号43 これもまた漢土の風俗なり。 『顔氏家訓』に曰く、「喪、出づるの日、門前に火を燃(た)く」と。○『周礼』に曰く、「喪に門燎(かどび)を設く」。○喪、出る時、門火を燃(た)くこと、…
もとは夜暗くなってから墓穴に入れてやる冥銭であったものが、いつの頃から「六道」の名を与えられたのだろう。 ふつうに考えれば、死後、次生の可能性として想定される、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道にかかわりあろうと思うが、本編ではそれに…
これもと漢土の俗法に習うものなり。漢には昏寓銭(こんぐうせん)と名づく。亡者の路用に備うるこころにて吾が俗、六道銭と云う。○『事物紀原』に曰く、「漢、葬る者に昏寓銭あり。昏晩に銭を壙中(つかあな)に埋め、死者の用になす」。
『真俗仏事編』の編者・子登は真言系の宗教者だと推定している。それを思えば、本編№94で経衣に書く経文を、「今日びは法華経や阿弥陀経なんかの経文を書いているふうもあるようだが、本来はきちっと真言陀羅尼でなきゃあかん」と言っていることも由あること…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号41 問う、あるひとの曰く、「亡者に経衣(きょうかたびら)を着せるはかえって亡者に咎(とが)を与えるなり。その故は経巻を焼く罪、並びに不浄に触れる失(とが)、経律に見たり。ゆえに…
8月のお盆を過ぎて畑も秋仕様に変えてゆく。 ジャガイモの畝三本の後に、二本分を合わせ80センチ畝にしてキャベツ苗10本とレタス苗2種各3本(計6本)を混植。残り1本は60センチ畝にして側溝し立てに作りブロッコリー10本を植える。 どちらにも防虫ネット。二…
昨年足を故障して「もう畑はやらない」と言った母の言葉を受けて「じゃちょっとだけやってみようか」と少しの野菜を植えた。で、はまる。今春、昨年は3分の1程度しか使っていなかった敷地(借り物)を鍬ですべて耕し14本の畝を立てる(後に2本追加)。…
え~、まいどばかばかしいところをお一つ。 しかし仏様ってのはよっぽどお水がお好きなんですねえ。 どうしたい熊さんのおかみさん。仏様がお水をお好きってのは。 ご隠居さん、だってその通りでしょ。毎朝ご仏壇にコップで一杯。お膳を上げるに時も小さなお…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号41 問う、亡者には先ず水を供養するは如何。 答えて曰く、冥道の衆生は心地乾くものなり。ゆえに水を供養するを要とす。今、亡霊心地かはくといえども、法水をもって湿(うるお)すゆえに菩…
今から二十五年前のことになる。 ある女性の檀信徒がお寺へやって来た。一ヶ月ほど前にご主人の葬儀を終えたばかり。年頃は40代の前半。浮かない表情をしていた。いわく、「じつは先月の葬式の後、ずっと体の調子悪いんです。そして家族の中でもあまりよくな…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号41 問う、僧は印信を棺に入れ、俗は血脈などを棺に納む。これ焚焼経巻の咎(とが)ならずや。 答えて曰く、罪は悪心より生ず。今、印信を帯し、血脈を持するは、滅罪生善のためなれば過(と…
〈生者によるイメージの投影〉 まだまだその正体定かならぬものではあるけど、多分にこうした性格を負っている〈霊〉たちには、生者さながらのモード(流行)というものがあるようだ。 近頃は正木晃が文章にしているけど、次に挙げるような言い方はじつはわ…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号41 亡者の角帽子を問う。 答えて曰く、これ『増輝記』に載せる所、頭巾の類なるべし。あるいは布帽(ふぼう)と云う。吾が俗、もとより簡略にしたがい縫うものか。あるいは宝冠に象(かたど…
このたびの本編№90「葬送の幡」についての記述、不思議な思いを抱いて読んだ。この手の項目であれば他の類書であれば、幡に書す文言(「諸行無常・諸法無我・生滅々已・寂滅為楽」など)の説明を充てるのが常套手段なのだが、『真俗仏事編』の記述は、すこぶ…
問う、「葬送の時、必ず白紙の幡あるいは素絹(しろきぬ)の幡を用うるは何の故ぞ」。 答えて曰く、「蓋(がい)を捧げ幡を擎(ささ)ぐ。先ずは荘厳の具と見えたり。もし得益を尋ねば、『釈氏要覧』に云く、“七七の斎日には、僧を招いて白紙の幡を剪(き)…
『論語』に「慎終追遠」という言葉がある。 孔子の弟子の一人、曽子の言葉として出てくる。 「終わりを慎み、遠きを追えば、民の徳、厚きに帰す」。 新釈漢文大系版から吉田賢抗の訳と註を引いてみる。 上に立つ人が、人生の終わりである死をおろそかにせず…
今の俗、父母の棺を荷う、これ仏勅なり。『浄飯王般泥洹経(じょうぼんおうはつないおんきょう)』に曰く、「浄飯王、命終したまう時、七宝の棺を作る。その時、阿難、羅睺羅(らごら)と棺の後に立ち、仏と難陀(なんだ)と前に在り。仏、言わく“もし当来の…
昨今よく話題になるところだ。識者の皆さんもさまざまにお考えのあるところだろう。ひとまず私の考えを読んでいただいた後で、どんどん突っ込んでいただければありがたい。 まずは一つ前の本編№87「葬法」とその「よこみち」を覧ていただければおわかりのよ…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号40 『毗那耶律(びなやりつ)』に云く、「送葬の苾蒭、よくする者をして無常経並びに伽陀を誦せしめ、それがために呪願せしむべし」。 ○『浄飯王般泥洹経(じょうぼんおうはつないおんきょ…
別に殺人事件の話ではない。問題なのは遺体処理なのである。 本編№87で四種の葬儀法を挙げているが、ここで問題になっているのは死後の魂をどうしようとか、成仏あるいは成神(こんな表現があればだが)の儀礼的手続きはいかにすべきだとかの問題ではない。…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号40 天竺に四種の葬法あり。 一には、水葬。謂く、江河に投げて魚鱉(ぎょべつ)を飼(か)う。 二には、火葬。謂く、薪を積てこれを焚く。これを荼毗(だび)とも、闍維(じゃい)とも云う…
さて本編№86で『真俗仏事編』巻三「祭霊部」が終わった。次回からは巻四「送終部」が始まるが、これまでにならって一巻の区切り、その幕間に「ちょっといっぷく」しよう。ここでは本文の内容から離れて『真俗仏事編』をいろんな方向から見ようと試みてきた。…
「昔はこのあたりもよくロクブさま来たもんだ」。 親の世代の話である。このあたりとは当地、秋田県北部。このロクブさまが、廻国六十六部納経の巡礼者のことと知ったのはずっと後になってからである。私自身は実際に見たことや出会ったことはない。子どもの…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号39 六十六部の納経の人、今の世はなはだ盛んなり。これ北条時政前生納経の事より起これり。 ○『太平記』第五に曰く、「昔、鎌倉草創の始め、北條の四郎時政、榎嶋(江ノ島)に参籠して、子…
今ではこういうステレオタイプな見方はもう古いのかもしれないけど・・ 成立宗教と自然宗教、みたいな対比が話題になることがある。前者は哲学的だったり論理的だったり、後者はアニミスティックだったりと。こんなふうに両者を対照的に捉える考え方ってけっ…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号39 真言行者、好んで山に籠もるものを、人皆な身心を懲らすの備えと思えども、必ずしも然らず。およそ真言行者は、先ず作檀(壇カ)の地を択ぶべし。良地なれば法成就す。秘軌の中に『択地…
前に焼身を話題にした折、かつて当地(秋田県北部)であった焼身供養の記録をいつかご紹介すると約束したが、 http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2016/02/28/210106 今回はそれを果たそうと思う。 画像に挙げた資料がそれだ。 これは秋田県北秋田市内の…
テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号39 問う、「今の世にも身を水火の中に投げる者あり。これ外道の法ならずや」 答えて曰く、「これに取捨あり。必ず捨身の正邪を知るべし。かの婆羅門の提謂女(だいいにょ)に教えければ外道…