BON's diary

「何考えてんだ、お前はっ!」 「い、いろんなこと」

仏事習俗

よこみち【真読】№124「聖なる場所」

「道場」という言葉が「聖道を証する所」にもとづく言葉だと知ったのはこの本編が初めてだった。それより先に「剣道場」や「空手道場」などの用語に慣れていたのでごく一般的に、武道をならう施設、という解釈をしていた。本編の引く『西域記』がオリジナル…

【真読】 №124「道場」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号53 仏の在(いま)す處を道場と云うは、『西域記』第八に曰く、賢劫の千仏、金剛座に座し金剛定に入りたまう。聖道を証する所なればまた道場という。 ○按ずるに、秘軌の中には本尊の在す所…

よこみち【真読】№123「教えてSiri」

とても初歩的なことのように思えていささか恥ずかしいのだけど、正直に話してどなたかに教えていただこうと思う。 うちは曹洞宗のお寺だけど、庫裏の中に仏壇があって、そこには私の祖父母ほか亡くなった親族の位牌を祀っている。で、そこを「お内仏」と呼ん…

【真読】 №123「内持仏堂」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

問う、吾が邦、本堂の外、方丈あるいは寮の内に仏像を安じて内持仏堂と云う、これ本拠ありや。 答えて曰く、義浄の『南海寄帰伝』に出たり。彼に云く、僧房の内、尊像を安ずることあり。あるいは窓上において、あるいは故(ことさら)に龕を作る。食坐の時、…

よこみち【真読】№122「折々の愉しみ」

会えない人を「思い慕い」てその姿を絵図・形像に再現し自分のそばに置く。本編のfbアップにもコメントいただいたように、その行為は釈尊に限らず、この世に生きる人たちにも共通するものだろう。 だが私は今回の本編を読んで、特に引かれたのは『西域記』の…

【真読】 №122「仏像を安置す」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号53 木像・絵像を礼拝恭敬することは全く如来在世の尊を拝するに同じ。ゆえに仏滅後、絵・木の像を安じて拝せしむ。 『円覚経』に云く、もしまた滅後に形像を施設して心に存し、目想し、正臆…

よこみち【真読】№121「教えてイイコト、ワルイコト」

たとえば仏像開眼の儀礼作法を知りたいとしよう。 そうした事情に明るいどこかのお坊さんに聞きに行く。「教えて下さいな」「そんなこと簡単に教えられるもんじゃないよ」「そんなけちなこと言わないで教えてよ」「なに言ってんだ、そんな軽々しいもんじゃな…

【真読】 №121「たやすく印明を見聞きする罪」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号53 『集経』第一(仏頂壇法)、仏、諸の比丘に告げたまわく、「いまだ一曼荼羅道場に入らざる者は、為に三昧陀羅尼呪印を説くことを得ず。聴聞することを得ず。法を見ることを得ず。もし為…

よこみち【真読】№120「秘すれば花」

「××××××、×××?」 「△△△△△」 「×! ××××××???」 「△△、△△△△」 「××、××!!(核爆)」

【真読】 №120「露わにして印を結ぶことを得ず」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号52 問う、印を結ぶに袈裟の下にし、あるいは衣袖の中にして手を露わさざるいわれは如何。 答えて曰く、これ印呪を重んずる義なり。もし露わにし軽くすれば、悪鬼神に碍(さえ)られて成就せ…

よこみち【真読】№117/118/119「数珠ってどうよ?」

この連載で複数の本編項目にひとつの「よこみち」ってはじめてかも。 にしても数珠に対する思い入れは強いね。そもそも巻一の№1からして数珠のことを取り上げていた。http://ryusen301.hatenablog.com/entry/2015/02/10/064322巻五になると上掲の№117~119な…

【真読】 №119「数珠の功徳」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号52 数珠を造る法ならびに加持の法、『陀羅尼集経』の第二「文殊根本儀軌第十一」に出たり。この法に依って造り加持せざれば功徳少なし。深秘なれば今出さず。師に問うべし。 ○『瑜伽念珠経…

【真読】 №118「数珠の種類」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号51 『金剛頂瑜伽念珠経』に曰く、「煩悩を滅せんと欲せば、まさに数珠を持して常に身に随え、専心に諸仏の名号を繋念すべし。 しかるに数珠の多少に功徳の勝劣あり。一千八十珠を上品とす。…

【真読】 №117「数珠の起因」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号50 『木槵経』に云く、釈迦如来、中天竺摩竭陀国霊鷲山に住せし時に、難陀国の波琉璃王、使いを以て仏に言(もう)さく、「我が国は辺国にしてしかも少(ちいさ)し。頻りに兵乱し五穀貴(…

よこみち【真読】№116「俺さまファースト?」

本編「逆修」の件、もしこれが本編に添付した画像のように受戒を主題としているのであれば、その意味合いは、死後に受戒し戒名を得るよりも、生前に受戒自誓して戒名を受ける方が理にかなっている、という昨今多く云われている意見にたどり着くだろう。たし…

【真読】 №116「逆修」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号50 逆は「あらかじめ」と訓ず。あらかじめとは先だってなすことを云う詞なり。我が死後の修福を生涯に先だって修すれば逆修と名づく。『釈氏要覧』には「預修」と云う。「預」もあらかじめ…

よこみち【真読】№115「“してあげる”ことを布施と云う」

コンビニのレジなんかでよく見かけるおつりの時にでたこま銭などを入れるためにおいてあるだろう箱。「アフリカの恵まれない子どもたちへあなたの善意を」とか「いまだ困っている被災地へささやかな支援を」とか添え書きがしてある。場面は違うけれど、テレ…

【真読】 №115「生飯(さば)」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

生飯(さば)とは元(もと)これを「衆生食」と云うゆえなり。 『行持鈔』下に云く、「衆生食を出すことを明かさば、あるいは食前にもあり、あるいは食後にもあり。経論に文無し。情に随って安置す(文)」。衆生食とは、衆生は鬼子母と曠野鬼となり。 ○『涅…

よこみち【真読】№114「ガキ=子供」はもうやめよう

六道の一つを餓鬼と呼ぶのはいい。広い意味での仏教の世界観に受け容れられた餓鬼道についてはそのまま受けとめようと思うが、人の子を「ガキ」と呼ぶのは好きになれない。もっとはっきり言えばとても嫌いな言葉で、できればやめてほしいとさえ思う。 いった…

【真読】 №114「施餓鬼」 巻五〈雑記部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

吾が門の徒は日々必ずこの法を修すべし。儀軌にも獲る所の福利果報校量すべからずと云へり。 ○『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』(不空訳)曰く、阿難、独り静処に居して所受の法を念ずるに、その夜三更以後に当って焔口と云う餓鬼、阿難の前に現ず。その形醜陋…

【真読】ちょっといっぷく(五)反省

とういうわけで本編『真俗仏事編』巻四「送終部」を読み終わり、次回からは巻五「雑記部」へと移ることになる。これまでの例にならって本文の文脈からは離れて一息つくのがこの幕間だ。 この連載やそしてその元になっているfb「仏事習俗アラカルト」でもい…

よこみち【真読】№113「オムカエデゴンス」

来迎の場面とは多くの場合迎えられる者にとって<のぞましい>ものとして描かれることが多いというイメージがある。浄土教系の往生観念を下敷きにした来迎図のバリェーションがそれだ。もっともこのことはビジュアルとして世に出回っている媒体が多いと云う…

【真読】 №113「火車来たり迎う」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号48 問う、重悪人死するとき、火車来たり迎うこと、世俗専らこれを談ず。本説ありや。 答う、提婆達多、逆罪を造るとき、大地自然に破れ、火車来たり迎えて生きながら地獄に入ると云へる、こ…

よこみち【真読】№112「脳をすすり、眼をくり抜き」

「ノドに血ヘド見せて狂い鳴く あわれ あわれ山の ほととぎす」 井上陽水『帰郷』のフレーズ。死者とホトトギスとが並んでいる箇所を読むとふとこのフレーズが浮かぶ。刷り込まれているんだなきっと。 『十王経』には内容の異なるものがあるが、本編で引用し…

【真読】 №112「冥途の鳥」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号47 問う、葬送の龕などに居る冥途の鳥は杜鵑(ほととぎす)の事と聞く、然るや。 答えて曰く、これ『十王経』に襤褸鳥(らんるちょう)と化し来て別都頓宜壽(ほととぎす)と鳴くと云えるを…

よこみち【真読】№111「年頭偶感」

本編の画像に貼り付けた「おそ松くん」。テレビの放映は1966年2月から1967年3月だったらしい。 その頃、それまで家族でお世話になっていた秋田市内のお寺を離れ、両親と妹の家族四人で、小さな貸家に住み始めた頃だった。おそらくその転居に合わせて白黒テレ…

【真読】 №111「六地蔵」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号47 具(つぶさ)には『谷響集』の中の如し。しかるに菩薩は普現色身三昧に入りたまへば、無辺の身を現ず。観音の三十三身の如し。今、六地蔵は六趣に普現したまうなり。 ○『元亨釈書』に曰…

よこみち【真読】№110「古い人間とお思いでしょうが」

「生まれ変わって花になる」 「自然の大きな循環の中に回帰する」 自然葬の魅力をアピールするコピーはなかなかキャッチだ。 今回の本編もまさにこうした自然葬が「上品」の葬法なのだと後押しをするような典拠になりそうだ。 実際には身肉を焼却して残った…

【真読】 №110「三葬、功徳の勝劣」 巻四〈送終部〉(『和漢真俗仏事編』web読書会)

テキスト http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818707 コマ番号47 土葬・火葬・水葬と云う。これを三葬と云う。 土葬は身形を全(まった)からしめんためなり。哀情の甚だしき故になす処なり。 火葬は骨を親類に分布せんためなり。これ釈迦の荼毘になら…

よこみち【真読】№109「ガチです、TORII考」

このたびのテーマ「とりい」。正面から取り組むことを逃げてばっかりの「よこみち」ではあるけれど、今回はそうもしていられない。なぜかと言うに、ある程度お里の知れるものであればこそ、ちょろりと横からくすぐる面白さもあるのだが、今回本編「華表」の…